配達の待ち時間に、AI小説がどんどん進んだ

青い夜の公園で配達用の自転車を止め、ベンチでスマートフォンの小説を読む人物 フードデリバリー

少し前からAIを使って小説を作り始めた。

最初は今のAIでどこまでできるのか試すくらいのつもりだったが、思った以上に面白く、ここ数日は映画やYouTubeを見る時間まで小説に使っている。

昨日は、その小説とフードデリバリーの相性が妙にいいことに気づいた。

普通にUber Eatsで稼働して、売上は一万円を超えた。

それなのに、一日の終わりには小説もかなり進んでいた。仕事を終えてから何時間も机に向かったわけではない。

数分の待ち時間で、話が進む

信号待ちで完全に止まっているとき、次の展開について短い指示を出す。走り出したらスマホには触れず、道路を見る。

店で商品の完成を待つあいだに、AIが作った続きを読む。気に入らないところがあれば直し、商品を受け取ったら配達へ戻る。

昨日は、これを何度も繰り返していた。

前から配達の合間にブログを書くことはあった。ただ、数分の信号待ちで記事の文章をまとめるのは難しい。

AI小説なら、その間に短い指示を出すだけでも、わたしが次の配達をしているあいだに続きができる。次に止まったときは、それを読んで、残すか直すかを考えればいい。

一日の終わりにファイルを見たら、小説本文は約17万字になっていた。人物や今後の展開を整理した資料も、約2万字ある。

もちろん作品はまだ途中で、これがそのまま完成稿になるわけではない。それでも、一万円以上売り上げた日と同じ日にここまで作れたのは、自分でも驚いた。

13時間の枠に、できることが一つ増えた

以前、フードデリバリーで13時間稼働するという枠を作った。閑散期でも必要な売上を確保するためである。

13時間は走行時間ではない。家を出てから戻るまでの、待機や休憩、執筆も含めた時間だ。

その後の繁忙期には、この枠どおりには過ごせなかった。そしてまた閑散期が来た。

注文は減るが、外に長くいるのが気持ちいい季節でもある。注文の合間に公園へ寄って作業するのも、今なら苦にならない。

以前の閑散期にも似た感覚はあった。今回、今のわたしが「無限モード」と呼んでいる状態でまたこの季節を迎え、あらためて思った。「無限モード」×閑散期稼働=至福である。

ただし、「無限モード」ならどんな環境でも至福、という話ではない。借金はない方が気楽だし、猛暑や厳しい寒さの中で走るより、今のように外が心地いい方がいい。

身体の調子がよければ、条件の悪い日も以前よりずっと楽に過ごせる。それでも、暑さも寒さも借金も消えない。「外の環境は一切関係ない」と言って、悟った人のように振る舞うつもりはない。

敷地内を電車が走り、イルカやウミガメのいるプールまであるハワイのリゾートで、ビールを飲みながら食事を楽しむ。あれはあれでいい。

けれど今は、無料の公園で休み、自転車でまた街へ出て、待ち時間には小説を読む。そんな一日の方が、ハワイ旅行よりも至福に感じられることがある。仕事をしているのに、である。

以前、「本物の快楽主義者は、地味に生きる」で書いた、強い刺激を足すより普通の日常を楽しめる状態を作る、という話を、今また体で確かめている。

仮に13時間かけて一万円なら、配達報酬だけの時給は壊滅的である。そこは美化しようがない。

ただ、必要な売上を作り、その間にブログも小説も進む。少なくとも今は、時給換算を見て一日を失敗だったとは思わない。

出版できるか、売れるかはまだ分からないが、外にいた時間の中で原稿が残っている。

以前から、その枠でブログを書くことは考えていた。今回増えたのは、信号待ちや店での数分にも進められる小説である。

AIへ指示を出し、配達している間に続きを作ってもらい、次に止まったときに読む。長い休憩が取れなくても、昨日はそれでかなり進んだ。

フーデリでなくてもいい。でも、今はこれが面白い

少し前に、フードデリバリーという働き方へのこだわりが薄れてきたと書いた。

ブログの土台ができ、仕事の前後や休日に執筆できるようになったので、生活費を稼ぐ仕事は固定シフトでも構わない、という話だった。

その考えは今も変わっていない。ただ昨日のような一日を過ごすと、今やっていることにフーデリが合っているとも思う。走る時間と止まる時間が交互に来て、その合間に物語が進む。

小説はまだ趣味の段階だし、完成するかどうかも分からない。少し前には「別の仕事でもいい」と思い、昨日は「この仕事、今の遊び方にはかなりいいな」と思った。どちらも本音である。

走っている間は道路を見て、止まったら物語に戻る。今はその切り替えが、やけに楽しい。

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