13時間稼働が背景へ回り、文章が主役になった日

公園で文章を書く人物と背後へ流れていく自転車配達の軌跡 生存記録

7月1日から、非電動のママチャリで一日13時間のフードデリバリー稼働を始めた。今日で、まだ10日ほどしか経っていない。

ここでいう13時間とは、ずっとペダルを漕いでいる時間ではない。家を出てから戻るまでの枠であり、その中には待機や食事、休憩も入っている。詳しい設計は、Episode 1に書いた。

それでも、始めた頃の身体には明確な限界があった。

休憩しても、休むことしかできなかった

朝、家を出る前なら頭は動く。稼働を始めて一時間ほども、まだ文章のことを考えられた。

しかし昼を過ぎ、夕方から夜のピークへ向かう頃には、太ももが張り、背中が固まり、身体の重さが頭の中まで占領する。

公園のベンチやファミレスの席に座っても、文章を書く気にはならない。「痛い」「重い」「休みたい」という感覚しか残っておらず、休憩は、次に走るために身体を止めるだけの時間だった。

一万円以上売り上げた翌朝に疲れが残るのも、当然だと思っていた。借金を返すまでは、この状態でやるしかない。

ところが、その前提が急に崩れた。

一万円稼いだ翌朝、身体が軽かった

その頃、業務スーパーで買ったブロック肉を、ヨーグルトメーカーで低温調理し始めた。

フライパンで焼いた肉を食べていた頃より、食後も翌朝も身体が軽く感じられた。昨日も売上は一万円を超えている。それなのに、今朝起きたときの感覚が以前とはまるで違った。

「え、これ、もう普通にいけるやん」

来年あたり、いつかこうなっていればいいと思っていた状態が、10日ほどで先に来てしまった。

この時点のわたしには、低温調理を始めたこと以外、はっきりした心当たりがなかった。だから当時は、肉の調理法を変えたことで身体が反転したのだと考えた。

フードデリバリーが背景へ回った

身体が軽くなると、意識の中の順番まで入れ替わった。

それまでは、13時間稼働を中心に置き、その合間に余力があれば文章を書くという関係だった。

今は逆である。

頭の中ではずっと無限の波紋について考えている。その背景で自転車を漕ぎ、注文が入れば届ける。配達が主で執筆が余りものなのではなく、文章を書く一日の中にフードデリバリーが組み込まれたような感覚になった。

自転車配達は、少しずつ重りではなくなっていた。生活費を作り、身体を動かし、その途中で文章まで書ける。

三時間書けるなら、必要量は満たしている

13時間の枠の中で、合計三時間ほど文章を書けるなら、それは妥協なのだろうか。

仮に一日中好きなだけブログを書いていいと言われても、わたしが集中して書けるのは三時間、長くて五時間ほどだと思う。

それなら、稼働の途中で三時間書けている時点で、わたしに必要な執筆時間はかなり満たしている。

仕事をしながら無理に夢を追っている、という感覚ではなくなった。生活費を作る時間と、書く時間が、同じ一日の中で普通に並び始めた。

想定していたよりもずっと早く、日常の質が変わり始めている。

意味より、物理だった。

そして、この変化が昔のわたしにとって何を意味したのかを考え、同じ日にもう一本書いた。続きは、「おい、昔の俺。作戦は成功だったみたいだぞ」に残している。

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