ここ最近、自分の中でフードデリバリーの位置づけがかなり変わってきた。
別に嫌になったわけではない。好きな時間に働けて、休みたければ休める。途中で帰ってもいい。この自由さは、今でも大きな魅力だと思っている。
以前、配達員は続ける。それでも、「配達員である」という意識は手放したという記事を書いた。あのとき外したのは、配達員という仕事を自分そのものとして扱う意識だった。
今回は、そこからもう一段進んだ話になる。
以前ほど、「フーデリでなければならない」と思わなくなってきた。
無限の波紋を作るには、フーデリの自由さが必要だった
無限の波紋を立ち上げたばかりの頃は、ブログの形そのものがまだ決まっていなかった。
何を書くのか。何を書かないのか。どんな考えを中心に置き、記事同士をどうつなぐのか。最終的にどんな場所にしたいのか。
そういうことを、日常の中でずっと考えていた。
この段階では、まとまった作業時間以上に、突然浮かんでくるものが重要だった。自転車で走っている途中に何かを思いつけば、一度止まってメモする。そこから考えが広がれば、そのまま文章を書き始めることもあった。
どうしても続きを考えたい日は、そこで稼働を切り上げられる。仕事とブログの境目を、その日の状態に合わせて動かせた。
当時のわたしには、この働き方がかなり合っていた。無限の波紋の土台を作るうえでは、フーデリの自由さに頼っていた部分も大きい。
だから、フードデリバリーができなくなることには不安があった。収入源を失うだけではなく、この働き方を失えば、無限の波紋まで今のように作れなくなる気がしていた。
無限の波紋の土台ができてきた
今は、立ち上げ当初とはかなり状況が違う。
ブログの方向性は固まり、デザインも整ってきた。どんな記事を書く場所なのかも、自分の中ではかなり明確になっている。書籍も少しずつ形になってきた。
もちろん、これからも新しい発見は出てくるし、ブログ自体も変わり続けると思う。ただ、土台から毎日のように作り直していた時期は終わった。
何か思いつけば、仕事中に短くメモしておけばいい。普通のアルバイトでも仕事の前後には時間があり、休日もある。帰宅してから続きを考えることもできる。
一日の予定をいつでも中断できるほどの自由は、以前ほど必要ではなくなった。
フーデリ以外に、考えたいことが増えた
最近は、無限の波紋とは別の場所で、小さな商売を始めることについても考えている。
最初は商品を一つ作り、広告を出して、本当に売れるのかを試すだけのつもりだった。しかし実際に考え始めると、購入者が使えるツールまで作り、それを一人で販売しながら、AIを使ってどこまで運営できるのかにも興味が出てきた。
その経緯は、小さな商売実験のつもりが、これからの生き方まで見えてきたに書いた。
今のわたしが考えていたいのは、無限の波紋をこれからどう育てるか、一人でどこまで商売を作れるかということになっている。
フードデリバリーは、その時間を確保しながら生活費を作る仕事である。大事ではあるが、考え続けたい対象ではなくなってきた。
自由な仕事にも、毎日決める面倒さがある
フードデリバリーは自由である。
ただ、いつでも働けるということは、今日出るのか、何時から始め、昼だけにするのか夜も走るのか、何時に終えるのかを毎日自分で決めるということでもある。雨や注文状況によっても予定は変わる。
以前は、その自由を使って無限の波紋を作る時間を確保していたので、毎日判断する意味があった。
今は、そこまで細かく一日を動かす必要がない。むしろ、生活費を稼ぐ時間と収入がある程度決まっていて、その時間は働き、終わったらもう考えない方が生活は単純になるかもしれない。
朝から夕方まで働いても、その後には時間がある。休日もある。残った時間をブログや書籍、商売に使えばいい。
働く時間を自由に動かすことより、生活費を稼ぐ仕事について考える時間を減らす方に、今は魅力を感じている。
生活費を作れるなら、仕事の種類は何でもいい
フードデリバリーを続けてもいいし、別のアルバイトをしてもいい。倉庫や清掃、工場でもいい。海外へ行けば、そのときできる仕事を探せばいい。
生きるために必要な金が入り、本当にやりたいことを続けられるのであれば、生活費を稼ぐ仕事の種類には、それほどこだわる必要がない。以前は自由な働き方であること自体に大きな意味があったが、今は仕事の外に自分が続けたいものを持っていることの方が重要になっている。
無限の波紋があり、書きたい本もある。さらに、一人で商売を作るという新しい楽しみも増えた。
これらは、フードデリバリーをしていても、別の仕事をしていても続けられる。生活費を稼ぐ仕事にまで、人生の意味を背負わせる必要はなかった。
フーデリの記事も減っていく
仕事を変えたときや、大きな出来事があったときには書くだろう。フードデリバリーをやめる日が来れば、それも一つの節目になる。
ただ、日々の稼働そのものを記録し続ける必要は、以前ほど感じていない。その日に必要な仕事をして、生活費を作る。それがフードデリバリーなら走り、別の仕事ならそちらへ行く。
フードデリバリーが重要だった時期には、それを書く意味があった。重要度が下がったのであれば、無理にブログの主役として残す必要もない。
必要なら走る。それだけになった
フードデリバリーへの評価が変わったわけではない。ただ、フーデリでなければならない理由はなくなってきた。必要なら走るし、もっと都合のいい仕事が見つかれば、そちらへ行く。
その後、炭水化物を何日か連続して取ったときには、脚がまだ普通に動いているのに配達が退屈になり、固定シフトの仕事が急に強く魅力的に見えるという変化も起きた。働き方についての判断自体は今も変わらないが、同じ選択肢の見え方は身体状態によって動くらしい。詳しい経過は、「炭水化物を数日戻したら、『無限モード』が崩れた」に記録した。
何をして生活費を作っているかより、その時間以外で何を育てているのか。今のわたしには、そちらの方が重要である。


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