「私は大丈夫」を続ける維持費――アンジェラ・アキの言葉から考えたこと

舞台裏の鏡に疲れた姿を映す、ひとりの演者 サンプル解析

アンジェラ・アキの対話動画を観ていたとき、「私は大丈夫」と言い続けてきた、という話が出てきた。

動画の中で彼女は、我慢が美徳であり、強さが勝つと思っていたため、「私は大丈夫」と言ってきたと振り返っている。

その言葉から、彼女の活動休止の原因まで外から決めることはできない。

ただし、「大丈夫ではない自分」を無視しながら、大丈夫な人間として振る舞い続けることに維持費がかかる。これは、わたし自身の経験から断言できる。

成果が出るほど、役割を降りにくくなる

仕事で結果が出ると、周囲はその人を「できる人」として扱う。音楽なら、期待される音を出す人。営業なら、いつでも売れる人。相談されれば答えを出し、問題が起きても平然としている人。

最初は、その評価が気持ちいい。しかし、そのうち「今日は無理だ」「もうやりたくない」「自分でも分からない」と言いにくくなる。結果を出した自分と、今ここにいる自分の間に差が開くからである。

わたしも営業で結果を出していた頃、周囲から見える自分と、内側で起きていることがずれていく感覚を知った。

相手を騙しているわけではない。仕事もしている。数字も出している。それでも、違和感を無視して「この道でいい」と言い続ければ、自分に対して嘘をつくことになる。

嘘は、記憶より先に身体へ残る

誰かについた小さな嘘なら、内容を覚えて辻褄を合わせればいい。しかし、自分の状態についての嘘はもっと面倒である。

疲れているのに大丈夫と言う。嫌なのに納得していることにする。怒っているのに、理解のある人として振る舞う。

言葉だけを整えても、身体の重さ、眠れなさ、次の行動への抵抗は残る。わたしは、心身の状態が崩れたまま、意味づけだけを変えて進む方法を信用していない。

大丈夫だと思い込むより、酒を止める。食事を変える。寝る。仕事を減らす。辞める。距離を置く。先に現実の作業を変える。

「聖なる下水道」という言葉

動画の中で印象に残ったのが、「聖なる下水道」という言葉だった。嫉妬、恨み、汚い感情。人に見せたくないものが、自分の中にもある。

それを立派な言葉へ変換して消すのではなく、あるものとして見る。

わたしは、この感覚がよく分かる。嫉妬しない人、金に興味がない人、他人から認められなくても平気な人を演じたところで、実際に嫉妬し、金が欲しく、賞賛されて気持ちよくなった経験は消えない。

むしろ、そこを認めた方が扱いやすい。

認めることは、美化することではない。嫉妬したから相手を攻撃していい、という話でもない。「いま嫉妬している」と分かれば、その感情と行動を分けられる。存在しないことにすると、別の立派な理由を付けて相手を攻撃し始める。

「大丈夫ではない」と言える方が、強い

わたしは、強い人間とは、いつでも平気な顔をしている人ではないと思っている。自分の状態が悪いときに、それを早く認められる人である。

酒を飲めば生活が崩れる。食べれば強く疲れる。人間関係が増えれば消耗する。今の仕事は違う。他の人間に当てはまるかは知らない。

ただ、自分について確実に分かったことまで、「普通はこうだから」と否定する必要はない。

アンジェラ・アキの話を聞いて残ったのは、成功者の苦悩を勝手に解説した気分ではなかった。「私は大丈夫」と言い続けるより、大丈夫ではない現実を認め、実際の生活を変える方が早い。

わたしにとっては、それだけの話である。

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