長野の山奥に、自分で建てた建物を直しながら、一人で暮らしている85歳の男性がいる。
動画で紹介されている伊谷さんは、東京大学で学び、大学で教え、ギリシャ哲学の翻訳や辞書の編纂をしてきた人だという。その経歴から想像する生活と、画面に映る現在の姿はかなり違う。
雪で壊れた建物を自分で直し、鉄筋を組む。パソコンを開けば、今も翻訳を続けている。
これを「社会を脱獄したシステムハッカー」と呼べば派手だが、そんな大げさな名前はいらない。
伊谷さんは、自分が暮らせる場所を自分で作り、壊れたら直している。それだけで十分に面白い。
自由になるために、危険が消えたわけではない
山へ移れば、問題がなくなるわけではない。火事、雪、倒壊、骨折。動画で語られる生活には、普通の住宅なら避けられる危険がいくつもある。
それでも、壊れた原因が雪の重さなら、柱を増やす。冬が来るなら、その前に直す。問題は消えないが、何をすればいいかが具体的である。
出版社の締切、大学での立場、周囲の期待と、雪で折れた柱。どちらが楽かは、単純には決められない。ただ、人によっては、他人の都合で動く生活より、雪と重力を相手にする方が耐えやすい。
伊谷さんが実際にどう感じているかは本人にしか分からない。わたし自身は、後者を選びたくなる感覚が分かる。
自然へ帰った人ではない
この暮らしを、「文明を捨てて自然へ帰った」とまとめるのも違う。伊谷さんはパソコンとWordを使う。電子レンジも使う。Amazonから届く物や、娘からの支援も受け取る。
すべてを一人で作り、誰にも頼らず生きているわけではない。必要な技術と助けは使いながら、住む場所と一日の使い方は自分で決めている。
自由とは、依存を完全になくすことではない。何に頼り、何を自分でやるかを選べることに近い。
環境を変えることは、逃げとは限らない
合わない場所で苦しくなると、多くの場合、自分の考え方や性格を直そうとする。もっと我慢できる人になる。締切に強い人になる。集団に馴染める人になる。それでうまくいく人もいる。
しかし、自分を変えるより、いる場所を変えた方が早い場合もある。わたしも営業で結果を出し、先の収入も役職も見えていた。それでも、そこへ自分を適応させ続ける方向は選ばなかった。
現在は、自転車で街を移動しながら働いている。山奥で鉄筋を組む生活とはまったく違うが、決められた建物と時間の中で働くより、自分で動く場所を選ぶ方が身体に合っている。
同じ生活を真似する必要はない
伊谷さんの暮らしを見て、山へ籠もるべきだとは思わない。85歳で建物を直し続ける生活には、本人が引き受けている危険と不便がある。映像だけを見て、自由で素晴らしいと美化するのも違う。
わたしが惹かれたのは、山暮らしそのものではない。社会の中で苦しくなったとき、「自分が壊れている」と決める前に、環境の方を選び直せることだ。
会社を辞める。住む場所を変える。仕事の量を変える。人間関係を減らす。使う道具を変える。
心で方角を選び、頭で進路を決める。
伊谷さんの生活は、その進路がかなり山奥まで伸びた一例として見ればいい。わたしは今日も、都市部のアスファルトの上で自転車を漕ぐ。今のところ、こちらの方角で合っている。


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