AIで小説を作り始めたら、思っていたより面白かった

机に向かう人物の前で、都市や海、森など複数の物語世界が枝分かれして広がるアート 生存記録

このブログ「無限の波紋」とは別で、AIを使った小説作りを少し試し始めた。

きっかけは、少し前からまた本を読むようになったことだった。

また小説を読めるようになった

以前のわたしは、今よりかなり小説を読んでいた。特に過去のニート期間には、古本屋で何冊もまとめて買ってきて、それを順番に読んで時間を潰していたことがある。

海外にいたときも同じだった。日本の本が売られている店を見つけると、格安で買ってきて暇な時間に読んでいた。

ただ、ここ最近はほとんど読書をしていなかった。借金のこともあり、生活そのものに余裕がなかったからである。

本を読む時間が完全になかったわけではない。それよりも、わざわざ小説の世界へ入っていくような心の余裕があまりなかった。

それが最近、生活や身体の状態を立て直していく中で、少しずつ変わってきた。

わたしは今の状態を「無限モード」と呼んでいる。以前より長く動けるようになり、仕事をしたあとにも文章を書いたり、別のことを考えたりする余力が残るようになった。その結果、仕事以外のことを楽しめるくらいには、気持ちにもゆとりが戻ってきた。

そこで、昔買ったまま残っていた本を、ちょろちょろ読むようになった。

今のAIなら、自分好みの長い物語も作れるのではないか

久しぶりに小説を読んでいるうちに、ふと思った。

最近のAIは本当にすごい。文章を書く能力だけではなく、読み込ませた設定や過去の文章を参照し、登場人物の関係や、それまでに起きた出来事を踏まえながら続きを作ることもかなりできるようになっている。

だったら、自分の好みに合う小説を作ることもできるのではないか。

そんな軽い思いつきから、このブログとは切り離した場所で、試しに小説作りを始めてみた。

もともとは、今のAIならどこまで長い物語を作れるのか、少し触ってみるくらいのつもりだった。

以前のAIで長文を作ろうとすると、設定を忘れたり、登場人物の性格が途中で変わったり、前に書いた内容との整合性が取れなくなったりすることが多かった。

今でも、人間が確認せずに任せきれるとは思わない。それでも、設定や過去の文章を横に置き、人間が確認しながら進めるのであれば、以前よりはるかに長い物語を作りやすくなっていると感じる。

試しに何本か展開を作らせ、その続きを読んだとき、最初に出てきた感想はこれだった。

「やば、普通に読めるレベルやん」

そして実際にやってみると、技術的に作れるかどうかより、その過程そのものの方が面白かった。

小説を書くというより、物語の中で遊んでいる

設定をどうするか。この人物をどういう性格にするか。ここで助けるのか、見捨てるのか。この出来事によって人生が大きく変わるのか、それとも何も変わらないのか。

AIはいろいろな候補を出してくる。こちらはそれを読みながら、好きなものを選び、違うと思えば変え、別の可能性も試していく。

感覚としては、小説を書くというより、物語の中で遊んでいる方が近い。

途中でふと、

「これ、なんか『かまいたちの夜』をやってるような感じもあるな」

と思った。ただ、あらかじめ用意された選択肢を選ぶのではなく、登場人物も舞台も、その先に起きることも変えられる。

「ってか、それよりずっと自由度も高いし、おもろいやん」

今の感覚には、こちらの方が近い。

わたしは、もともと小説家になりたい人間ではない。昔から小説を書いてきたわけでもなければ、自分の文章だけで一冊を書き切ることに特別な価値を感じているわけでもない。小説家として認められたいという欲求もない。

だから、小説作りに限って言えば、文章の部分をAIに任せることにもほとんど抵抗がない。

「ここは自分で書かなければ作品とは言えない」といったプライドが、最初からないのである。むしろAIが思いもしなかった展開を出してきたら、その方が面白い。

自分で全部考えたいというより、自分一人では出てこなかったものを見たい。その中で気に入ったものを残し、違うと思えば捨てる。

今のところ、これは創作活動というより、かなりゲームに近い。

AIを使わない方がいい場面とは、目的が違う

少し前に、「AI時代に人間にしかできないこと。それはAIを使わないこと」という記事を書いた。

自分で絵を描くことや、自分の手で文章を書くことなど、作る過程そのものを経験したいなら、AIへ任せることで目的まで消える場合がある、という話である。

今回の小説作りは、それとは目的が違う。

わたしが楽しんでいるのは、自分の手で一文ずつ書くことではない。AIが出してきた予想外の人物や展開を読み、残すか捨てるかを考え、別の可能性を試すことである。

この場合、AIは楽しみを奪っていない。AIがいるからこそ、この遊びが成立している。

やっているうちに、

「小説の世界でも、こういうスタイルが新しいものとして定着していく可能性もありそうやな」

とも思った。従来の小説作りに代わるというより、物語を作りながら同時に遊ぶ、別の楽しみ方として残っていく可能性はありそうだ。

結局、AIを使うべきか、使わない方がいいかについて、一つの答えがあるわけではない。何を目的にしているかが違えば、選択も変わる。

自分の好みも、自分では全部分かっていない

特に面白いのは、自分なら選ばなかった展開が出てきたときである。

「そっちに行くのか」と思いながら読んでいると、その先が意外によかったりする。自分では思いつかなかった人物の行動や、予想していなかった関係の変化によって、急に物語が面白くなることがある。

そういう瞬間に出会うと、自分の好みというものも、実は自分ですべて把握しているわけではないのだと思う。

最初から理想の展開を細かく指定し、その通りにAIへ作らせることもできる。しかし、それだけでは少しもったいない。

ある程度は勝手に走らせる。予想外のものを出させる。気に入らなければ変える。逆に、自分なら絶対に選ばなかったのに妙に引っかかったものは残しておく。

そうやっていろいろな物語を試しているうちに、自分がどういう人物に惹かれ、どんな展開で冷め、どんな場面で感情を動かされるのかも少しずつ見えてくる。

急げば作れるから、急いで完成させない

今すぐ作品を完成させようとは思っていない。しばらくは新しい趣味として、小さく続けてみるつもりである。

面白かった設定。妙に印象に残った人物。自分では選ばなかったのに好きだった展開。逆に、一気に興味が冷めた展開。

そういうものを少しずつメモしておこうと思う。

数カ月後に読み返したとき、今と同じものを面白いと思うかは分からない。思いついた直後には最高だと思っていた設定が、時間が経つと何とも思わなくなることもあるはずである。

逆に、半年経っても何度も思い出すものがあるかもしれない。

そういうものが十分に溜まったら、そのとき改めてAIにも全部共有し、本格的に一つの作品へまとめてみればいい。

人間がAIの出力を確認しながら進めれば、かなり短期間で一冊分の文章を作ることもできると思う。だからこそ、急いで作る必要もない。

作れるものの量が一気に増えた時代には、何を作れるかよりも、その中から何を選び、何を捨て、何を最後まで残すのかの方が重要になっていく気がする。

今のところ、小説を完成させることより、この遊びそのものの方が面白い。

この先、本当に一冊の作品になるのか。それとも途中で飽きて終わるのか。まだ分からない。

だから、とりあえず今の段階を残しておく。

現在の生活で、こうした遊びを始められるようになった経緯は、「無限モード」とは何か。問題が消えなくても、念が残らなくなる状態にまとめている。

この記事を書いたあと、二年以上前に作った画像集から284円が振り込まれた。小説や書籍が完成したあと、作ったものがどんな形で残るのかを改めて考えた記録は、「284円の振込で、少しだけ未来が見えた」に書いた。

その後、配達中の短い待ち時間にこの小説を進めてみたら、思っていた以上に相性がよかった。その日の記録は、「配達の待ち時間に、AI小説がどんどん進んだ」に書いた。

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