金持ちなのに、ずっと同じ家に住んでいる。
高級車を何台も買うわけでもなく、毎晩高級レストランへ行くわけでもない。服装も地味で、金があるのだからもっと派手に使えばいいのに、生活そのものは普通の人とあまり変わらない。
こういう人を見ると、世間ではだいたい好意的に評価される。
「お金があるのに質素で素晴らしい」「欲がない人なんだろう」「人格者なんだろうな」
そんな感じである。
わたしは少し違う。
こういう人を見ると、ときどき、
「いやー、あなた相当欲深いですね」
と思う。
もちろん、本人が何を考えて質素に暮らしているのかは分からない。ただ、少なくともわたし自身について言えば、生活が地味になればなるほど、欲がなくなった感覚はあまりない。
むしろ、幸福でいたいという欲だけは、以前よりかなり強くなっている。
欲がなくなったのではなく、欲しいものが変わった
一般的に「欲深い人」と聞くと、もっと金が欲しい、大きな家に住みたい、高い車が欲しい、うまいものを食べたい、刺激的な遊びをしたい、そんな人を想像すると思う。
確かに、分かりやすい欲である。
ただ、欲には別の形もある。
朝起きたときに身体が軽くあってほしい。普通の飯をうまいと思いたい。毎日気分よく身体を動かし、頭の中を静かに保ちたい。誰にも時間を奪われず、自分のやりたいことをやりたい。そして、その状態をできれば死ぬまで続けたい。
これだって、かなり欲深い。
豪邸を一軒欲しいという人より、
「一日のほとんどを気分よく過ごしたい。それを何十年も続けたい」
という人間の方が、要求しているものは大きいとも言える。
不思議なのは、欲の対象がモノから外れた瞬間、その人が「無欲」に見え始めることである。
高級時計が欲しい人は欲深い。しかし、高級時計を買わず、その代わり自由時間を一時間でも増やしたい人になると、なぜか欲がない人に見える。
そんなことはない。
後者も明確に何かを欲しがっている。ただ、欲しいものが違うだけだ。
わたし自身、昔に比べればモノに対する欲はかなり弱くなった。
しかし、自由でいたいし、身体を良い状態に保ちたい。好きなことを考え、文章を書き、自分の時間をできるだけ自分のために使いたい。嫌な人間関係にはなるべく時間を使わず、今日一日を「これでよかった」と思って終えたい。
十分すぎるほど欲だらけである。
単に、その欲を叶えるために、高級品がほとんど必要なくなっただけなのだ。
強い刺激を避けるのも、欲のためである
人間は、強い刺激を一度経験したら、それを永遠に同じ強さで楽しめるわけではない。最初は特別だったものも、繰り返していれば普通になる。
刺激そのものが悪いわけではない。ただ、強い刺激を基準にすると、それまで十分楽しめていた普通の飯や、何も起きない夜が弱く見えることがある。
わたしが欲しいのは、普通の飯がうまく、自転車に乗るだけで気持ちよく、風呂に入れば満足し、文章を書いているだけで楽しいと思える状態である。
だから、強い刺激を避けることがある。我慢しているわけではない。もっと長く、もっと大量に、日常から快楽を取り続けたいからだ。
刺激を増やすのではなく、普通の刺激から快楽を受け取れる側を守る。この話は、「本物の快楽主義者は、地味に生きる」の方で詳しく書いた。
金があるからこそ、生活を変えない
金が増えれば、できることは増える。
広い家へ引っ越せるし、いい車を買える。食事も豪華にできるし、十分な金があれば働く時間を減らすこともできる。
それ自体は、当然いいことだと思う。
ただ、「できるようになった」と「やった方が幸福になる」は別の話である。
むしろ怖いのは、金が増えたことで、今まで普通に幸福だった生活まで、なぜかアップグレードしなければならないものとして扱い始めることなのかもしれない。
家を大きくし、車を変え、食事の価格を上げ、付き合う人間まで変えていく。そして、一度上げた生活を維持するために、さらに金が必要になる。
しかも、新しい生活にもいずれ慣れる。
もし以前の生活ですでに十分幸福だったなら、何をしているのか分からない。
もちろん、大きな家が本当に好きなら住めばいいし、車が好きなら高級車を何台買ってもいい。そこに問題があるとは思わない。
重要なのは、「金がある人間は、金持ちらしい生活をした方がいい」という外部の物差しで、幸福の形まで変えないことだと思う。
金が増えたからといって、幸福まで一緒に作り直す必要はない。
むしろ、すでに成立している幸福を壊さず、選択肢だけを増やせるなら、その方がわたしには都合がいい。
倹約は、禁欲ではない
だから、金があるのに生活を派手にしない人を見ても、わたしはすぐに「欲がない立派な人」とは思わない。
金より自由が欲しくて、刺激より平穏が欲しいのかもしれない。豪華な一日より、普通に気分のいい三百六十五日が欲しいのかもしれない。
使わなかった金は、ただ口座に残るだけではない。
嫌な仕事を断れる。住む場所を変えられる。体調を崩したときに休める。何かを作るために時間を使える。
モノを買わない代わりに、選択肢を買っているとも言える。
それなら倹約は、欲を抑えるための禁欲ではない。自分が本当に欲しいものへ、金を残しているだけである。
幸福に対して、以前より貪欲になった
わたしは以前より、欲がかなり減ったと思う。
ただ、正確には「欲を捨てた」というより、欲の対象が入れ替わったという方が近い。
昔は、人より上に行きたい、注目されたい、金を増やしたい、大きな結果を出したい、という欲がかなり強かった。
今は、それらが以前ほど大きくない。
その代わり、自由でいたいし、軽い身体でいたい。余計なストレスを持たず、面白いことを考え、自分の時間をできるだけ自分で使いたい。そして、特別な出来事がなくても、毎日を普通に楽しめる状態を維持したい。
だから、無欲になったわけではない。
むしろ以前より、自分が本当に欲しいものに対しては、かなりわがままになった。
わたしが考える成功も、金や結果だけを増やすことではない。今日の幸福を維持しながら、明日以降の選択肢も増やすことだ。その定義は、「成功しても不幸なら、それは失敗だ。わたしが考える『成功』の条件」にまとめている。
金持ちになったとしても、今より幸福になりたいとはあまり思わない。
今ある幸福を壊さず、そのまま自由や選択肢だけ増やしたい。
それなりに面倒な注文である。
だから、
「質素ですね」
と言われるより、
「欲深いですね」
と言われた方が、たぶんしっくりくる。
欲がなくなったわけではない。
幸福に対して、以前よりずっと貪欲になっただけなのだ。


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