会社から逃げるのは「現実逃避」なのか。苦しいという感覚こそ、現実ではないか

出勤準備を終えたものの、玄関で身体が動かず座り込む会社員 仮説

会社へ行くのが苦しい。朝になると身体が重くなり、満員電車を考えただけで胃が縮む。できることなら逃げたい。

だが、実際に休んだり辞めたりすれば、「つらいことから逃げただけ」「現実を見ろ」「社会人なら我慢しろ」と言われる。

誰にも言われなくても、自分の頭の中で同じ言葉が再生される。

では、そのとき感じている苦しさは何なのだろうか。

会社へ向かうだけで吐き気がする。眠れない。何も考えられない。身体が動かない。それこそ、いま本人が実際に経験している「現実」ではないだろうか。

そこから離れることを現実逃避と呼ぶなら、自分の身体と感覚が出している反応を無視し、「社会人だから」という理屈だけで同じ場所に留まり続けることもまた、現実逃避と言えるはずだ。


「世間から見える現実」と「本人が経験している現実」

一般に「現実を見ろ」と言うとき、多くの人が指しているのは、会社、収入、肩書、世間体など、外から確認できる世界である。

もちろん、それらは現実に存在する。会社を辞めれば収入が止まることがあるし、家賃の支払日は待ってくれない。家族がいれば、その生活にも影響が出る。

自分の感覚だけを理由に、こうした事実が消えるわけではない。

ただし、外から見えるものだけが現実なのか、とわたしは思う。

同じ職場のAさんを見ても、ある人は「親切でいい人だ」と言い、別の人は「押しつけがましくて苦手だ」と言う。

会社で出世した人を見て、成功者だと羨む人もいれば、あんな生活は死んでも嫌だと思う人もいる。

成功、失敗、立派、底辺という評価は、見る人によって簡単に変わる。一方、自転車で坂を登ったあとの太ももは、誰が何と言おうと痛い。

満員電車を前にして胃が縮むなら、本人にとっては実際に苦しい。

世間の評価は人によって変わるが、自分がいま何を感じているかは、その瞬間の自分にとって動かしようのない現実である。

外から成功に見えても、本人が不幸なら失敗である

金があり、肩書があり、周囲から「幸せそうだ」と思われていても、本人が毎朝目を覚ますたびに苦しく、こんな生活を続けたくないと感じているなら、その人の現実は不幸である。

外野が何万人集まって成功者だと認定しても、本人の感覚を上書きすることはできない。本人が自分の人生を失敗だと感じているなら、少なくとも本人にとっては失敗なのだ。

逆に、社会的には落ちぶれ、収入も肩書も失った人が、以前より身体が軽く、毎日を幸福だと感じているなら、その幸福を外野が否定することもできない。

ずいぶんわがままな考え方に見えるかもしれない。だが、自分が幸福か不幸かを決めるところまで他人に任せる方が、わたしには不自然である。

うつ状態で働けないことは、人格の失敗ではない

社会に合わせようとして無理を重ね、心身の調子を崩し、働けなくなる人がいる。うつ病や適応障害と診断され、休職や退職を選ぶ人もいる。

その状態を「逃げた」「根性がない」「社会人失格」と評価するのは簡単である。しかし、本人が苦痛を感じ、実際に働けなくなっているなら、まずそこが現在地だ。

立派かどうかを議論しても、身体が動くようになるわけではない。

働けないという現実を認めて休むことは、現実から逃げることではない。むしろ、いま起きていることをようやく認めた結果とも言える。

もちろん、休むか、辞めるか、治療を受けるか、別の働き方を探すかは、それぞれ別の問題である。

ここで言いたいのは、苦しいという感覚を無視した時間の長さで、人間の立派さは決まらないということだ。

生活保護は、現実から逃げた人間の制度なのか

働けず、収入も尽き、生活保護を利用することになった人がいる。

本人は生きるために制度を使っているだけなのに、「甘えていると思われるのではないか」「自分は脱落者だ」と、世間の視線まで背負って苦しむ。

だが、働けない。金がない。このままでは生活できない。だから、利用できる制度を使う。これは現実逃避というより、目の前にある現実への対処である。

生活保護を受けているという事実はある。そこへ「甘え」「敗北」「人間失格」というレッテルを追加する必要はない。

制度を使わずに餓える方が立派だというなら、その立派さはずいぶん人間離れしている。

他人がどう見るかによって、制度を使う必要性が消えるわけではない。世間の視線と、いま生きるために必要な行動は分けて考えた方がいい。

自分の感覚に従えば、すべてうまくいくわけではない

ここまで読むと、「嫌なら全部やめればいい」「本能のままに生きれば正解だ」と受け取る人がいるかもしれない。そんな都合のいい話ではない。

わたしは大学へ行かず、音楽を続け、日本に違和感があったから海外へ渡った。成功した仕事を捨て、最終的にはわざと借金まで作った。

自分の感覚に従ってきた結果、うまくいったこともあれば、現在まで返済が続いている失敗もある。

感覚に従えば成功するとは限らないし、判断を間違えれば物理的な代償も払う。

それでも、外から成功に見える人生を維持するために、自分の感覚へ嘘をつき続けるよりはましだと、わたしは考えている。

会社を辞めるにしても、生活費、住む場所、家族への影響など、処理すべき現実は残る。

すぐに辞められないなら、休む、相談する、働く時間を減らす、別の仕事を探すなど、ほかの対処もある。

自分の苦しさを認めることと、勢いだけですべてを投げ出すことは同じではない。

本当の現実逃避とは何か

会社から逃げることが現実逃避になる場合もあるだろう。だが、会社に残ることが現実逃避になる場合もある。

重要なのは、世間がどちらを立派と呼ぶかではない。外側で起きている事実と、自分の脳や身体が感じている事実を、どちらもなかったことにしないことである。

現実とは、世間が貼ったレッテルではない。自分がいま実際に経験しているものだ。

この考え方の土台にある「他人は存在しない」「現実とは自己感覚である」というスタンスについては、COREにまとめている。

コメント