今日、加入している保険を全部並べてみた。
フリーランス協会の賠償責任補償。日常生活で使う自転車保険。病気やケガで働けなくなったときの所得補償保険。そして、法的なトラブルに備える弁護士保険。
それなりに準備しているつもりだったが、こういうものは「たくさん入っている」という印象だけでは役に立たない。誰かにケガをさせた場合はどうなるのか。自分が仕事中に転んだ場合はどうなるのか。働けなくなった直後の生活費は、どこから出るのか。
一つずつ見直すと、まだ穴が残っていた。
他人への賠償と、自分のケガは別だった
配達中に通行人へぶつかったり、物を壊したりした場合の賠償には備えていた。一方で、仕事中に自分が転倒し、治療が必要になった場合の備えは、それとは別の話である。
所得補償保険にも入っているが、就業不能になった直後から、あらゆる損失がそのまま埋まるわけではない。免責期間もあれば、支払いの条件もある。保険という言葉を四つ並べただけで、わたしの生活が自動的に守られるわけではなかった。
そこで、配達員向けの特別加入団体を通じて、労災保険への加入を申し込んだ。
ここで大事なのは、「これで事故に遭っても大丈夫」と思い込むことではない。労災にも民間保険にも、それぞれ対象範囲と条件がある。事故の状況によっては、思っていたとおりにならない可能性も普通にある。
それでも、仕事中に自分がケガをした場合の経路が、昨日より一つ増えた。何も起きていない今の段階で、空いていた穴を一つ見つけ、一つ処理した。それで十分だった。
制度があることと、必ず自分が守られることは同じではない。それでも、制度を拒絶する必要はない。機能する可能性が高いものは利用し、機能しなかった場合の経路も残しておく。国や制度を「信じる」「信じない」で扱わない理由は、「わたしは、究極的に言えば何も信じていない」にまとめている。
身体だけでなく、仕事の入口も突然止まる
もう一つ考えたのが、フードデリバリーのアカウント停止である。
少し前、わたしのスマホに、第三者がアカウントを使って配達した可能性があるという警告が届いた。身に覚えはなかった。客からの評価が高くても、真面目に働いていても、通報や判定を完全には制御できない。
実際、突然のアカウント停止で仕事ができなくなった配達員が、アカウントの復旧と停止期間中の逸失利益を求めて提訴し、運営会社が解決金を支払う形で和解した事例も報じられている。
もちろん、これは訴えれば必ず復旧できる、金を受け取れるという意味ではない。ただ、理不尽なアカウント停止が、配達員の考えすぎだけで片づけられる話ではなく、実際に法的な争いへ進んだ問題であることは分かる。
ウーバー、配達員に解決金。一方的なアカウント停止を巡り和解(読売新聞オンライン)
そのとき、わたしは「配達員である」という意識を手放した。配達は続けるが、それを自分の名前にはしない。止まったら必要な手続きをし、戻れれば戻る。戻れなければ別の仕事へ移る。
ただ、その考えを精神論だけで終わらせるつもりもなかった。
稼働を始めたら、プロフィール、評価、警告、サポートとのやり取りを保存する。移動履歴も、事実関係を後から確認するための補助記録として残す。問題が起きた場合の問い合わせ先を確認し、必要なら弁護士へ相談する。
記録があれば必ず無実を証明できるわけではない。弁護士へ相談すれば、必ずアカウントが復旧するわけでもない。加入している弁護士保険が、個別の事案でどこまで使えるかも、契約内容と保険会社の判断による。
だが、「何か起きたら考える」という空白はなくなる。
最初に何を保存し、どこへ連絡し、それでも駄目なら何の仕事へ移るのか。派遣の工場勤務も含め、次に使える仕事を先に用意しておけば、アプリから通知が届くたびに人生の終わりを想像しなくて済む。
一日一生は、明日を無視することではない
ここまで未来の事故や失業を考えることは、「一日一生」と反対に見えるかもしれない。
わたしが理想としている一日一生とは、今日という日にやることをやり、その一日だけで人生を一度完結させる生き方である。借金を完済するまで安心を待たない。ブログが稼ぐまで幸福を待たない。今日働き、身体を動かし、飯を食い、その日に書けることを書いたなら、その一日だけで「これでよかった」と終える。
しかし、わたしの脳は、何も考えずに今だけを生きられるようにはできていない。放っておけば、事故、失業、借金、老後まで勝手に計算を始める。
だから、未来を考えないようにするのではなく、先に考え尽くす。
配達中にケガをしたらどうするか。すぐに働けなくなったらどうするか。アカウントが止まったら、何を保存し、どこへ連絡するか。戻れなかったら、次に何をするか。
考えたうえで、今日できる手続きをする。できる準備をしたら、残りは諦める。事故が絶対に起きない仕組みも、理不尽な判定を完全に防ぐ方法もない。そこまで支配しようとすれば、準備は一生終わらない。
一日一生は、明日を捨てることではない。明日に今日を食わせないために、今日できることだけを済ませることだ。
保険は、未来のためだけに買うものではなかった
保険金を受け取るのは、事故が起きた後である。だが、保険へ入り、次の行動を決めた効果は、事故が起きる前の今日にも出る。
転倒したらどうしよう。働けなくなったらどうしよう。アカウントが止まったらどうしよう。そのたびに頭の中で同じ会議を開かなくてよくなる。
今日やることは変わらない。道路を見る。安全に運ぶ。身体の状態を確かめる。終わったら飯を食い、眠る。その合間に、書けることを書く。
労災も、民間保険も、弁護士も、別の仕事も、わたしを無敵にはしない。ただ、まだ起きていない事故に、今日の機嫌を人質として差し出さずに済むようになる。
今日、わたしが作ったのは、最強の防壁ではない。
明日を考える時間を終わらせて、今日へ戻るための区切りである。
処理できる穴は処理した。塞げない穴は残っている。それでも、今日の仕事をして、今日の飯を食い、今日の自分を終えることはできる。
一日一生。
未来を恐れない人間になるのではなく、恐れを一つずつ現実の作業へ変えたあと、残りを抱えたまま眠る。今のわたしにとっては、それがいちばん現実的な「今日だけを生きる」である。
前回の記録:
配達員は続ける。それでも、「配達員である」という意識は手放した
「一日一生」を含む成功の定義:
成功しても不幸なら、それは失敗だ。わたしが考える「成功」の条件
※保険や労災の対象範囲、支払条件、補償開始日は契約や事故の状況によって異なる。本記事は、わたし自身が行った準備の記録であり、特定の保険への加入や法的手続きを勧めるものではない。


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