配達員は続ける。それでも、「配達員である」という意識は手放した

スマートフォンを手に非電動自転車と配達バッグを押し出す男性の後ろ姿 フードデリバリー

昨日、スマホに一通の警告が届いた。

ご注文者様から、アカウントを第三者が使用して配達を行った可能性があるとの報告を受けました。

身に覚えはない。客からの評価は100%で、プラットフォーム上のステータスも最上位のままだった。それでも、こういう通知は届く。

誰かが見間違えたのか、何か別の理由があったのかは分からない。通知だけでは、どの配達について何を報告されたのかも判断できなかった。

アカウントが止まったわけではないので、今のところ実害はない。ただ、この一件をきっかけに、自分の中で一つの認識が変わった。

評価が高くても、明日の稼働は保証されない

プラットフォームの規約は変わる。通報や判定によって、アカウントが止まることもある。評価がどれだけ高くても、それは今後も配達を続けられるという保証にはならない。

そんなことは以前から分かっていた。ただ、これまでは実際に何も起きていなかったので、知識として知っていただけだった。

今回初めて、自分にも普通に起こり得ることとして実感した。

そして、「わたしは配達員である」という意識そのものが、もう必要ないのではないかと思った。

これは、Uberを疑いながら働くという意味ではない。そもそも、信じるという処理をしていない。現在の条件では使える可能性が高いから使い、停止する側へ入った場合の出口も用意しておく。この考え方については、「わたしは、究極的に言えば何も信じていない」にまとめている。

配達をやめるのではなく、自分の定義から外す

これは、稼働をやめる理由にはならない。むしろ、使える間は使えばいい。

フードデリバリーには、出る時間も帰る時間も自分で決められるという大きな利点がある。

現在のわたしにとって都合のよい仕事であり、生活費と借金返済の金を作る手段でもある。

ただ、それは今使っている仕事の一つであって、自分そのものではない。

職業を自分の定義にすると、その職業を失う可能性が、そのまま自分を失う恐怖へつながってしまう。

アカウント停止や業界の変化を考えるたびに、まだ何も起きていない今日まで落ち着かなくなる。

配達をしている間は配達をする。しかし、「配達員として生きている」とまで考える必要はない。今の自分が、今使える仕事を使っている。それで十分である。

終わった場合の行き先を決めておく

ここで大事なのは、アカウントが止まった場合の行き先を、止まる前に決めておくことだ。

最悪の未来にも出口を用意しておけば、まだ何も起きていない今日まで恐怖に支配されずに済む。

仮にアカウントが止まれば、短期的には収入を失う。それは普通に困るし、起きない方がいい。ただし、そこで人生まで終わるわけではない。

必要な手続きをしたうえで、配達へ戻れるなら戻る。戻れなければ、別の仕事へ移る。その経緯も含めて記録を続ける。

次に何をするかが決まっていれば、客や店舗の反応へ必要以上に怯えずに済む。

仕事を雑にするという意味ではなく、やるべきことをやった後まで、相手の機嫌や判定を背負い続けないということだ。

退路を考えるのは、失敗した未来を救うためだけではない。まだ何も失っていない今日を、普通に生きるためでもある。

配達員は、仕事の名前にすぎない

今回の警告では、実際には何も失っていない。それでも、「配達員である」という意識を自分から外すきっかけにはなった。

配達が続くなら、今日もペダルを回す。終わる日が来れば、次へ行く。

配達員は仕事の名前であって、わたしの名前ではない。

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