会社員は安定している。でも、それは「自分が安定している」という意味ではない

会社の建物と街へ続く道の間に、自転車とともに立つ人物 生存戦略

「会社員は安定している。フリーランスやアルバイトは不安定だ」

これは、ある意味ではその通りだと思う。

毎月の給与があり、雇用や社会保険の仕組みに守られる。

わたし自身、会社員になってから、審査が厳しめの物件でもすんなり通った。クレジットカードを作るのも簡単だった。

当時のわたしが突然別人になったわけではない。勤め先と固定給が、信用として働いていたのだろう。

一方、個人で仕事をしていれば、取引先を一つ失っただけで翌月の収入が大きく変わることもある。

だから、会社員の安定を「見せかけだ」と言いたいわけではない。実際に使える、かなり大きな安定である。

ただ、そこには別の問いが残る。

会社があるから安定しているのか。会社がなくても、わたしは立て直せるのか。

この二つは、同じ話ではない。

給与には、会社が用意したものも含まれている

会社員も、もちろん働いている。出勤し、担当する仕事をこなし、結果を出す。会社から給与を受け取っているからといって、本人の力がないわけではない。

ただ、その仕事が成立するまでには、会社の仕事も大量に入っている。

商品やサービスを作る人がいる。顧客を集める人がいる。契約、請求、経理、法務を担う人がいる。長く積み上げてきた会社名への信用もある。

一人の社員は、その中で自分の役割を果たす。そこで発揮した能力は本物だが、仕組み全体を一人で動かしているわけではない。

たとえば営業成績がよかったとしても、売る商品も、会社の看板も、契約後の対応も、自分だけで用意したとは限らない。会社を辞めた翌日から同じ売上を一人で作れるかは、また別の問いになる。

逆に、会社の中で身につけた知識や人との関わり方が、外でも使えることはある。「会社に所属していたのだから、本人には何も残らない」と考えるのも乱暴である。

本人の力と、会社が用意した条件の両方で結果が出ている。

まずはそこを分けたい。

定年で変わるのは、人間だけではない

この違いが見えやすいのは、会社を離れるときである。

昨日まで役職に就き、高い給与を受け取っていた人が退職しても、一晩で能力が消えるわけではない。

ただ、役職も会社名も、その会社の顧客や設備も、それまでどおりには使えなくなる。社内では高く評価されていた仕事でも、同じ条件のまま別の場所で続けられるとは限らない。

もちろん、退職後に別の会社で力を発揮する人もいる。自分で仕事を作る人もいる。だから、定年になれば価値が落ちる、と決めつけたいわけではない。

わたしが気になるのは、退職を境に、どこまでが持ち運べる力で、どこからが会社の中で使えた条件だったのかが見えやすくなることである。

在職中の給与だけでは、この境界は分からない。

フリーランスなら自立しているのか

ここで「だからフリーランスは強い」と言ってしまうと、今度はそちらが雑になる。

わたしはフードデリバリーで働いているが、客を一人ずつ自分で集めているわけではない。注文をつなぐアプリ、決済の仕組み、店と客の数に支えられている。その条件が変われば、わたしの収入も変わる。

実際にアカウント停止やけがを想定し、配達を続けられなくなった場合の備えも考えてきた。

個人で仕事をしていても、一社からの発注に頼っている人もいる。一つのプラットフォームが止まれば、仕事の大半を失う人もいるだろう。

会社員には会社の仕組みがあり、個人事業主にも取引先やプラットフォームがある。誰も完全に一人の力だけで稼いでいるわけではない。

フーデリでは、いつ出るか、いつ休むかを毎日自分で決められる。わたしには魅力だが、その判断を毎日するのが面倒な人もいるだろう。固定シフトなら、良くも悪くも「今日は出勤する日」で話が終わる。

上司や同僚、職場の規則からの圧力もある。気分が乗らなくても出社できるのは、そのおかげでもある。まあ、それでも迷う日はあるだろうが。

違いの一つは、売上や自分の調子が収入へ表れる速さである。フーデリで注文が減ったり、一日休んだりすれば、その日の売上に出る。会社員なら、一日の不調がすぐ給料ゼロになるわけではない。

営業マン時代には、有給をまとめて取り、一か月近く休むこともあった。遊んでいる間にも固定給が入る。

それまで会社員になったことのなかったわたしは、「これで給料ももらえるのか……」と、ちょっと驚いた。有給なのだから当たり前だが、その当たり前を妙に豊かだと感じた。

もっと情けない日もあった。ひどい二日酔いのまま出勤し、何度もトイレに駆け込んだのである。その日のわたしは、どう見ても普段どおりには働けていなかった。

それでも給料は発生していた。普段は営業成績を出していたから、上司も社長も笑い話で済ませてくれたのであって、毎日それでよかったという話ではない。

もし今のわたしが同じ状態でフーデリを休めば、その日の売上はゼロになる。そもそも、あの状態で無理に自転車を走らせるべきではない。

長い休暇の間も、まともに働けなかった一日も、給料は途切れなかった。会社員の安定は、たしかに本物だ。

ただ、守られている間は、自分が何に頼っているかを意識しなくても働き続けられる。会社に支えられている部分まで自分一人の力だと思ったまま、何十年も進めてしまう。わたしが怖いと思うのは、そこだ。

会社に入ると、仕事より先に会社を選ぶ

会社員は入社するときに会社や職種を選べる。ただ、その後にどんな業務を任され、誰と働き、どんな顧客を担当するかまでは分からない部分も多い。仕事の細部を知る前に、先に会社を選ぶことになる。

わたしも営業マンとして実務に入ってから、「これもやらなきゃいけないのか。自分の感覚とはズレるし、できればやりたくない。じゃあ、辞めるしかないのか」と考えたことがある。

上司に相談してやらずに済んだ仕事もあれば、自分の見方を改めて引き受けた仕事もあった。相談の余地はある。ただ、毎回の仕事をその場で選べるわけではない。

どうしても合わなければ辞める選択もある。しかし、その場合は次の収入や仕事まで考えなければならない。一件の注文を断るのとは重さが違う。

この点で、今のフーデリはかなり違う。届いた注文を見て、「遠いな」「物量が多すぎる」「この店は対応が悪いからパス」と、一件ずつ決められる。出る日だけでなく、稼働中の仕事まで自分で選べるのだ。

会社員時代には、固定給を受け取り、会社に仕事を用意してもらう代わりに、仕事内容を一件ずつ選ぶ自由の一部を手放していた。会社員の安定を考えるなら、得られるものだけでなく、そこで何を引き受けることになるのかも見ておきたい。

月12万円で暮らせるなら、何が不安定なのか

今いる地方都市には、主要駅へ出られる範囲でも家賃3万円前後の部屋が普通にある。独身で贅沢をせず、今のように金のかからない日常を楽しめるなら、生活費全体を月12万円くらいに抑えることも考えられる。

月12万円を30日で割れば、一日4,000円である。わたしの今のフーデリなら、日によっては2〜4時間の稼働で届く売上だ。

もし雨の日に一日3万円の売上が出れば、単純計算では一週間分以上になる。そこには、フルタイムで働く生活とは違う自由がある。

もちろん、売上4,000円がそのまま生活費4,000円になるわけではない。税金や保険料、自転車の維持費がかかるし、30日休まず働くわけでもない。

休む日を作れば、稼働日の必要額は上がる。注文の少ない日もある。雨の日の高い売上を前提に生活を組むのは危うい。

それでも、必要な金額が小さければ、生活費を作るために使う時間も小さくできる。余った時間を、ブログや書籍、商売の実験や小説へ回せる。フルタイムの会社勤めでは取りにくい時間を、自分で使えるのである。

もちろん、その時間で何もせずに過ごしたら、わたしの場合はただのクソ野郎で終わる。自由な時間があるだけで、勝手に価値が生まれるわけではない。

フーデリだけに限った話でもない。十分なシフトを取れるアルバイトなら、月15万円前後の額面収入を得るために特別な高技能職へ就く必要はない。ただし、額面と手取りは違うし、働ける時間や求人の条件によって話は変わる。

雇われて働くアルバイトなら、正社員でなくても労災保険の対象になる。健康保険の加入条件を満たせば、病気などで働けないときに傷病手当金の対象になる場合もある。

業務委託のフーデリには労災の特別加入があり、民間の所得補償保険も選択肢に入る。ただ、保険料と補償範囲は自分の条件で確かめなければならない。

生活費が月12万円だからといって、毎月12万円だけ稼いで全部使い切れば安心、という話でもない。働けない期間のための蓄えは必要である。

そのうえで、少ない金でも楽しく暮らせて、必要な収入を別の仕事でも作れるなら、正社員ではないというだけで「不安定な人生」と決めるのはおかしい。

生活に必要な金額が小さいことも、一つの強さである。

生活費の低さは、収入が月ごとに変わる働き方にも効いてくる。稼いだ金を翌月へ持ち越せることと、今のわたし自身の借金を踏まえ、毎月同じ額を稼がなければならないのかを別の記事で考えた。

会社員の安定を使いながら、次も考える

では会社員は、いざというときのために独立準備をすべきなのか。

そこまで言うつもりもない。会社を離れても生きていく方法は、起業だけではない。別の会社で働けるなら、それも十分に強い。

大事なのは、今の勤務先だけに通用するものと、場所が変わっても使えるものを、自分なりに見分けておくことだと思う。

貯金があれば、仕事を失ってもすぐに追い詰められずに済む。固定費が低ければ、次の仕事を選ぶ時間ができる。社外でも使える技能や経験があれば、別の職場へ移れる可能性が増える。

余裕があれば、自分の名前で何かを売ってみてもいい。ただ、それだけを「本物の自立」の証明にする必要はない。

会社員の給与や信用を使いながら、会社の外でも通用する部分を少しずつ増やす。そう考えると、会社員の安定は捨てるものではなく、使えるものになる。

壊れないことと、立て直せること

毎月の給与が入り、会社に席がある。その安定には価値がある。

一方で、その場所がなくなったときに、別の仕事を探し、生活を組み直せることにも価値がある。

前者は今の生活を守る力で、後者は生活が変わったときに立て直す力である。どちらか片方だけを「本当の安定」と呼ぶ必要はない。

わたし自身、フーデリの仕組みを使って働いている。無限の波紋も、まだ育てている途中だ。今ある仕組みを借りずに生きているわけではない。

だからこそ、何を自分で持っていて、何を外から借りているのかは、勘違いしたくない。

会社があるから生きられるのか。会社があれば便利に生きられるのか。その違いを、自分で分かっていたい。

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