借金は455万円。非電動のママチャリでフードデリバリーをし、その日の生活費と返済原資を稼いでいる。
この姿だけを見れば、不憫に思う人もいるだろう。だが、わたし自身は以前より今の方がはるかに幸福である。
配達の単純な繰り返しが楽しい。嫌なことがあっても、その後まで引きずらない。仕事が終わっても、無限の波紋の文章を書きたくなる。
前向きに考えようと努力しているのではない。身体の状態が整うと、自然とそうなる。稼働中に鼻歌が勝手に出ることもある。
この、心も身体も軽い状態を、わたしは「無限モード」と呼んでいる。
もちろん、本当に無限に動けるわけではない。疲れもするし、休む必要もある。ただ、同じ仕事をしていても、苦痛を我慢して一日を終える生活とはまったく違う。
どんな状態なのかは、「無限モード」とは何か。問題が消えなくても、念が残らなくなる状態に詳しく書いた。このページでは、その状態を作り、維持するために現在やっていることをまとめておく。
中心にあるのは、以下の六つである。どれも自分の身体と生活で試してきたものであり、誰にでもこの組み合わせが合うと言いたいわけではない。
1.断酒
現在の実践:酒を飲まない。

わたしは本来、酒が好きである。会社の飲み会も好きだったし、友人と過ごすときには、考えてみればいつも酒があった。人と話し、距離を縮めるうえでも、かなり重要な道具だった。
営業マン時代には、食事をかなり厳格に管理しながら、酒はほぼ毎日のように飲んでいた。特にビールが好きで、仕事仲間と飲み、家では少し高いドイツビールを箱で買っていた。
当時の酒は、食生活に一つだけ残った悪習、という単純なものではない。数字を追う緊張を切り、同僚や上司とつながり、売れた日を祝う。営業マンとして戦う生活の中で、酒には酒の役割があった。
だから、あの頃も酒だけやめていれば、現在と同じ状態になれたとは考えていない。酒を飲まずに、あの働き方を同じ熱量で続けられたかは分からない。今の判断だけを正解にして、過去まで書き換えるつもりはない。
手痛い失敗は、一度や二度ではない。それでも飲み続けた。人生から切り離して考えたことがないほど、酒はいつもそばにあった。
同時に、酒が自分のパフォーマンスを落とすことも、よく分かっていた。それでも、「人生は楽しまないと」という絶対的な言い訳に押し切られた。
だが、成功や自由を得ても幸福が続かなかった経験を経て、刹那的な楽しさではなく、何も起きていない日常の中で続く幸福を考えるようになった。
その前提にあるのは健康ではないか。そう考えて食事、睡眠、運動を見直していくと、どう考えても断酒だけは避けて通れなかった。
現在、断酒が続いているのは、当時より意志が強くなったからではない。数字や人間関係の中で毎日戦い、その反動を酒で処理する生活そのものをしていない。嗜好品を一つやめただけではなく、人との過ごし方や、仕事と人生の組み方まで変わった。
ただ、そこから一度も飲まずに来たわけではない。低温調理肉で大きく身体が変わったあと、「今なら酒を飲んでもいけるのではないか」と試した。
さらに、つまみとして大量に食べていたピーナッツが自分に合わないと分かり、以前の不調には、その影響も混ざっていたのではないかと疑った。ならば、食べるものを変えたうえで酒だけを試したらどうなるのか。
酒が好きだからこそ、生活を崩さずに付き合える余地があるなら知りたかった。
実際、以前ほど身体が重くならず、普通に動ける日もあった。しかし、身体が動くことと、その一日を楽しめることは別だった。
酒を入れていない状態では至福だった配達の繰り返しに、強い退屈を感じる。脚は動くのに、同じことを続けていたくない。文章を書きたいという気持ちも薄くなる。
そして最近の実験では、最後の飲酒から、自分が基準にしている無限モードまで戻るのに、およそ二週間かかった。
二週間ずっと働けなかったわけではない。普通に生活し、仕事ができる状態にはもっと早く戻っている。ただ、仕事のあとにも意欲が残り、地味なことを自然に楽しめるところまで戻るには、そこからまだ時間が必要だった。
以前は、酒を飲んだ翌日がつらいことを問題にしていた。今は、もっと違うものと比べている。
酒を飲む楽しさと、この状態を保ったまま生きる楽しさ。
もう一度状態を落として、何日もかけて戻ってくるのが、単純に面倒なのである。今のわたしにとって断酒は、禁欲というより、手放したくない生活を維持するための選択になっている。
酒をやめたのは、快楽を諦めるためではない。日常全体をもっと楽しむためだった。この考え方については、「本物の快楽主義者は、地味に生きる」に書いた。
以前から考えてきた、我慢と断酒の関係については、「断酒は、我慢ではやめられない」にも書いている。
2.一日一食
現在の実践:食事は基本的に一日一回。肉を中心に、自分に必要な量をまとめて食べる。

もともとは、三食しっかり食べる方だった。しかし、その食べ方に疑問を持って二食を試すと、身体の調子がよくなり、すっきりして動ける時間が増えた。
そこからさらに試行錯誤を重ね、ようやく一日一食へたどり着いた。
ただし、一日一食を始めたのは最近ではない。十年ほど前、営業マンとして働いていた頃には、肉と魚を中心にした一日一食をかなり厳格に続け、主食もほとんど取っていなかった。
ただし、当時は酒をほぼ毎日のように飲んでおり、現在の「無限モード」と同じ生活ではなかった。一日一食と主食抜きは今につながる土台ではあるが、それだけで現在の状態ができていたわけではない。
仕事を辞めたあとには食生活がかなり緩み、酒に溺れ、ジャンクフードを貪る日もあった。それでも肉を中心にする傾向は残り、一日一食へ戻すこと自体に苦労する状態にはならなかった。
現在は、初めて一日一食を始めた頃のような不自然さはあまりない。何かを我慢して一食に抑えているというより、この回数が普通になっている。
わたしは、食べると疲れる。その反応がかなりはっきり出る。周囲と比べても、食後の疲れが強く出る方なのだろうと考えている。
以前、友人や恋人と旅行へ行ったときも、食事をするたびにしんどくなり、次の場所へ行くのが面倒になった。周りは元気なのに、自分は部屋へ戻って休みたくなる。
だから食事回数を減らすことは、単に料理の手間を減らす工夫ではなかった。食後に身体が重くなる時間を減らし、自分が動ける時間を増やすためだった。
仕事を中断したくないから無理に食べない、という順番ではない。自分の身体にはこの回数が合い、その結果として、配達や執筆も続けやすくなった。
3.肉を中心に、自分に合うものを残す
現在の実践:米、パン、麺などの主食は基本的に取らず、肉を食事の中心に置き、卵やオクラ、ヨーグルトなどを組み合わせる。ピーナッツは外している。

糖質の多い食事をした後は、わたしの場合、身体が重くなりやすい。肉を中心にすると、その落差が小さかった。
最近、主食を何日か連続して戻してみると、一日目は普通に動けたものの、二日、三日と続くうちに身体の回復力が落ち、配達から幸福感を受け取る感度まで薄くなった。詳しい経過は、「炭水化物を数日戻したら、『無限モード』が崩れた」に記録している。
ただし、肉だけを食べればいいと結論づけたわけではない。低温調理を始めてから、野菜を減らしても便秘にならなくなったため、一時は冷凍野菜をほとんど買わなくなった。
小さい冷凍庫が空き、その分だけ肉を保存できる。かなり都合がよかったのだが、その後、身体の軽さが落ちてきた。
最初は猛暑のせいだと思っていた。しかし、試しにオクラを戻すと、身体の動きが明らかに変わった。
便が出ていることと、身体が最高の状態で動くことは、同じではなかったのである。
逆に、健康的な食品というイメージもあって大量に食べていたピーナッツは、外したことで調子がよくなった。翌日の重さや疲れだけでなく、配達中のイライラにも違いがあった。
オクラの何が関係しているのか、ピーナッツの何が合わなかったのか。細かな仕組みまでは分からない。しかし、自分が次に何を食べるかは、実際に起きた変化を見て決めている。
肉食という名前を守るために食べているわけではない。便通だけでなく、食後、翌朝、稼働中、夜まで含めて、自分がどう動けるかを見る。その結果として、今はこの組み合わせが残っている。
4.ブロック肉を低温調理する
現在の実践:業務スーパーなどで買ったブロック肉を、ヨーグルトメーカーでまとめて低温調理する。

六つの習慣の中でも、大きな転機になったのがこれだった。
配達している間に調理が進むので、帰宅してから料理を始める必要がない。油は跳ねず、匂いもほとんど残らない。フライパンもコンロも使わないため、洗い物も少ない。
そして何より、安い肉がうまい。100グラム100円くらいの肉でも、これなら毎日食べたいと思える。手間を省くために味を諦めているわけではない。
身体の反応も、高温で強く焼いた肉を食べていた頃とは明らかに違った。食べた後の腹への負担が軽く、翌朝にも違いがあった。
食事法を二十年以上試してきたが、これは「少しよくなった」という程度ではなかった。長時間走ったあとにも余力が残り、外で文章を書こうという気持ちまで出てきた。
その後、食事の中身を変えたり、酒を入れたりして、一度得た状態を失うこともあった。条件を戻し、また身体が動くようになる過程も見ている。
だから今は、導入直後の一時的な高揚だけとして扱ってはいない。低温調理肉は、現在の生活を維持する中心にある。
ただ、それだけで全部が決まるわけでもなかった。先ほどのオクラやピーナッツ、酒の有無まで含めて調整してきた結果が、今の状態である。
導入時の具体的な変化は、「肉食のバージョンアップ:フライパンを捨てて『快適な生活』を手に入れた話」に残している。
5.36時間発酵させたヨーグルト
現在の実践:ヨーグルトメーカーで36時間発酵させた、自家製ヨーグルトを食べる。これは今も続けている。

肉中心の食生活と組み合わせたときに腹の調子が安定し、翌日の疲れも以前より軽く感じられたため、現在の食事に残している。
ただし、ヨーグルトだけの効果を、ほかの食事や断酒から完全に分けて確認したわけではない。菌の数や乳糖の量を測っているわけでもなく、今の組み合わせで自分がどうなるかを見ている。
低温調理の肉とヨーグルトを、同じ種類の小さな機械で作れる。この単純さも、続けている理由の一つである。
手間のかかる健康管理を、気合で毎日続けたいわけではない。仕込んでおけばできあがり、いつもの食事として食べられる。そのくらいの方が生活には合う。
6.肉体労働で、日常的に身体を動かす
現在の実践:フードデリバリーなど、ある程度まとまった量の身体活動を伴う仕事をする。わたしの体感では、一日に最低でも5時間程度が目安になる。

ここでいう肉体労働は、ただ職場にいることではなく、自転車を漕いだり、歩いたり、作業をしたりして、積極的に身体を使う仕事である。
5時間というのは、今のわたしがこうした仕事をしてきた中での目安であり、誰にでも必要な運動時間という意味ではない。仕事内容や負荷は違うので、時計だけで判断せず、働いた後の身体や気分も見ている。
わたしにとって、身体を動かす理由は金だけではない。
以前、倉庫や清掃の仕事を終えた後、なんとも言えない幸福感が身体を突き抜けたことがある。
なんだ、これでよかったんだ……。
大成功したわけでも、問題が解決したわけでもない。ただ一日働き、腹が減り、飯がうまかった。それだけで、その日の人生が一度完結した。
頭の中だけで不安や焦りを処理しようとすると、いつまでも同じことを考えてしまう。しかし身体を動かした後には、必要な対応はしながらも、それ以上引きずらずに済むことが多い。
不安を無理やり黙らせるのではない。何に反応しているのかを見て、現実の問題なら対応する。同時に、疲労や寝不足で何もかも重く感じていないか、身体の状態も見る。
わたしにとって身体を動かすことは、思考や執筆を続けるためにも必要である。将来、ブログや書籍の収入で生活できるようになっても、この必要性はなくならないと考えている。
現在は、生活費と借金返済のために、待機や休憩、執筆も含めた13時間の稼働枠を基本方針にしている。この間は各種実験や繁忙期を挟み、枠どおりに過ごしていたわけではないので、これからの閑散期に改めて確かめる。
ただし、それは必要な収入を作るための時間配分であって、至福を感じるために13時間働く必要があるという話ではない。
将来は、身体と創作を整えるために必要な分量へ変えていきたい。違うのは、量と、自分で決められる範囲である。
元気だからといって、余力を全部使い切る必要もない。まだできるけれど、今日はここまででいい。その余裕まで含めて、保っておきたい。
「働ける」だけでは、好調と判断しなくなった
今の状態を判断するとき、便通や朝起きたときの感覚だけを見ているわけではない。食事をしているとき、食後、日中の稼働、夜寝るときまで、身体の軽さや気分を見ている。
さらに最近は、何かを始めたいと思うか、文章を書きたいか、同じ作業を楽しめるかも、分かりやすい基準になった。
音楽の聴こえ方まで変わった。しばらく薄れていた感動が戻り、自然に歌いたくなり、ギターを触りたくなった。
仕事ができるだけでも、以前なら十分に好調だと考えていたと思う。しかし今は、その先にある状態を知っている。
身体が軽く、仕事が苦痛ではなく、その後にも自分のやりたいことへ向かえる。そうなると、借金も将来も、同じ現実なのに見え方が変わる。
借金が消えたから幸福になったのではない。返済しながら生活し、その中で楽しめることが増えたのである。
六つという数にも、特別な意味はない。睡眠や休み方が不要なわけでもないし、六項目を守れば何があっても好調だという話でもない。ここでは、現在の生活を作っている主な習慣を六つに整理している。
仕事や住む場所が変わっても、続けやすい形にする
この組み合わせには、別の利点もある。大きな調理設備を使わず、日々の手順も少ないため、仕事や住む場所が変わっても持ち運びやすい。
今は普通のワンルームに住み、キッチンもある。その環境で、低温調理と自家製ヨーグルトを選んでいる。キッチンがないから仕方なく使う代替案ではなく、今の自分が気に入っている食事である。
ただし、機械を一台持っていけば、どの寮でもホテルでも同じことができる、と確認したわけではない。調理や家電の利用条件、冷蔵保存できる場所、食材が手に入るかなどは、移動先ごとに確認する必要がある。
それでも、何が必要なのかが分かっていれば、部屋や滞在先を選ぶときの基準になる。場所が変わるたびに、自分に合う食生活を一から探し直さずに済む可能性がある。
フードデリバリーが続けられなくなった場合
配達が成立しなくなれば、雇われに戻って生活費を作る。期間工でも、倉庫の仕分けでも、清掃でも、そのときに使える仕事を選ぶ。
かつては「刑務所のような生活が始まる」と感じ、期間工を避けた。その経緯はEpisode 1に書いた。しかし、別の仕事へ移る場合も、身体を整え、文章を書き続ける生活まで手放すつもりはない。
勤務時間に合わせて食事や睡眠をどう組み直すか。住み込みなら、自室で何ができるか。その条件を見て、続けられる形にする。
次の手段を考えておけば、配達中も、アカウント停止や評価を必要以上に恐れずに済む。仕事を雑にするのではなく、やるべきことをやったうえで、特定の仕事にすべてを預けない。
海外へ移る場合も、身体の状態は置いていけない
将来、場所を変えながら暮らすとしても、移動するたびに体調を崩していては、わたしの望む生活にはならない。
同じ街で配達していても、状態がよければ旅のように楽しめる。反対に、身体や気分が崩れると、移動も予定外の出来事もただ面倒になる。それはすでに経験した。
だから、どこへ行くかと同じくらい、そこで今の状態を維持できるかが重要になる。低温調理と発酵を小さな機械で続けられることは、その計画を具体的に考えられるようになった理由の一つである。
実際に別の土地でどこまで再現できるかは、移ったときに確かめていく。
身体を整える方法を探す段階から、その身体で生きる段階へ
二十年以上、もっと楽に身体を動かす方法を探してきた。そのたびに試し、合わなければ変え、最近も細かな検証を続けていた。
現在の「無限モード」は、十年前の食事へ戻っただけでも、そこから酒だけを引いたものでもない。一日一食、肉中心の食事、断酒、低温調理、日常的な運動と休息を、今の生活の中で初めてここまで揃えた状態である。
まだ個別に確かめていない食品や、調整中の習慣は残っている。それでも大枠はかなり見えた。これまでの試行錯誤の集大成として、今の状態を保ちながら何をするかを考えたい。
身体や生活条件が変われば、その都度調整する。ただ、まだ何も分かっていないところへ戻る必要はない。調子を落とすものも、戻したい状態も、以前よりはっきりしている。
これからは、基本の食事と断酒を続け、仕事の中で十分に身体を動かす。その生活を続けながら、書籍を書き、無限の波紋を更新していく。
身体を整えるのは、健康管理だけを一生続けるためではない。今日を気分よく過ごし、自分がやりたいことを実際にやるためである。
この生活を、なぜ成功の一部と考えているのかは、「成功しても不幸なら、それは失敗だ。わたしが考える『成功』の条件」に書いている。
この身体管理を含め、現在作っている書籍は書籍案内にまとめている。現時点では、すべて執筆中または構想中である。