はじめに:ただのダメな中年になるまでの話
現在のわたしは48歳で、約455万円の借金がある。配達用のリュックを背負い、中古で買ったママチャリに跨り、フードデリバリーで生活費を稼ぎ、細々と借金を返済している。
この姿だけを見れば、ただのダメ人間である。何者にもなれないまま歳を取り、働かず、借金だけを増やし、仕方なく配達を始めた。おそらくそんな感じだろう。
そしてそれは事実ではある。それを否定するつもりはさらさらない。ダメ人間なのは事実。
だが、ここに至るまでに自分なりに夢を抱き、努力し、より良い人生を目指して生きてきたつもりだ。
そして、まったく結果が出なかったわけでもない。若い頃には海外の音楽市場でメジャーデビューし、その後も営業やブログで、世間が成功と呼ぶような結果を何度か手にした。
問題は、何者にもなれなかったことではない。何者かになったあと、その場所に居続けられなかったことだ。
過去の実績は、少なくとも努力が全部空振りだったわけではないという客観的な証拠にはなる。
ただし、「成功したことがある」と「成功が続く生活を作れた」は、まったく別の話だ。
どれだけ派手な結果を出しても、それを継続できず、現在の生活を支えていないなら、結局は昔話でしかない。過去の肩書きの力で、家賃が免除になるわけでもない。
そして、わたしの場合、「大失敗で転げ落ちた」みたいな感じではなかったりする。音楽、営業、ブログと、場所を変えながら何度か結果を出し、その全盛期に自ら手を離した。
生活に困っていたからではない。むしろ、困らなくなったあとに動けなくなったのだ。
やがて、その理由がわからないまま酒に沈み、最後には、自分を奮い立たせるために借金を増やした。
自宅に火をつければ、さすがに外へ逃げるだろう。
それに近い、正気とは言い難い方法だった。
これは、成功を三度手放した人間が、自分で起こした火事から逃げるために、ようやく身体を動かし始めるまでの記録である。
海外の音楽市場で、最初の結果が出た
若い頃、わたしは海外へ渡り、現地のバンドに入った。デビュー曲は現地の全国音楽チャートで六週連続1位になり、次の曲も、その次の曲も1位になった。
街や店で自分たちの曲が流れ、ステージに立てば大勢の客が声を上げた。TVにも出演した。
そこへ行くまでは、成功すれば何かが決定的に変わると思っていた。自信がつき、退屈が消え、自分が生きている理由もはっきりするのだろうと、どこかで期待していた。
ところが、実際に結果が出ても、その変化は起きなかった。もちろん嬉しい瞬間はあったし、応援してくれる人への感謝もあった。
ただ、歓声が止み、一人になれば、以前と同じ空白が残った。結果を出しても、退屈が消え、自分が生きている理由がはっきりするわけではなかった。
数字が増えるほど次の数字を求められ、数字に繋がらないことは「無駄」と捉えるようになった。
その結果、喜びよりも「この先も同じことを続けるのか」という感覚が強くなっていった。
承認欲求は、飲めば飲むほど喉が渇く海水に近い。
結局、わたしは絶頂期にバンドを離れた。周囲には理解されなかったし、当時の自分にも、なぜ欲しかったものを自分から捨てるのかうまく説明できなかった。
ただそうするしかなかった。
音楽を離れ、今度は営業で数字を追った
バンドを離れたあと、いくつかの国を転々としてから日本へ戻った。
表現の世界で満たされないなら、次はもっと「現実的な場所」で結果を出してみようと思い、歩合制の営業の世界に入った。
低学歴で、会社員として語れるような職歴は何もなかった。それでも、人がどこで興味を持ち、どの言葉で動くのかを観察する作業は、音楽とそれほど違わなかった。
先に結果を出している人から学び、自分なりにやり方を組み立て、その通り実行する。
結果、わたしはトップセールスになった。
収入は増え、いいスーツを着て、それまで縁のなかった店にも出入りするようになった。社会人としては、こちらの方がわかりやすい成功だったと思う。
あとはここからどんどん稼ぎ続けていけばいいだけだ。安定した豊かな未来が目の前に広がっているような感覚があった。
だが、その喜びも長くは続かなかった。
音楽と営業。別の世界のように見えて、やっていることの根は同じだった。人の感情を読み、望む反応を引き出し、数字を積み上げる。
ただ「虚しさ」だけがそこにあった。
そしてその翌年、わたしは退職した。
自由を求めて、ブログを作った
次に欲しくなったのは、名声でも社内の評価でもなく、自由な時間だった。会社を辞め、ブログアフィリエイトに集中した。
検索される言葉を調べ、記事を作り、反応を見ながら修正する。仕組みを分析する作業は性に合っていた。
約三カ月で作ったブログは、その後ほとんど手を入れなくても収益を生み出すようになり、累計で七桁円に達した。会社へ行かず、自分が寝ている間にも収入が発生する。
これで自由になった、と本気で思った。
しかし、実際に手に入ったのは、やるべきことが何もない一日が無限に続く生活だった。収益のために作った記事には、書き続けたいと思えるほどの関心もない。金は入る。やることはない。
自由は、使い道がなければ巨大な空白になる。
音楽では名声を得た。営業では地位と収入を得た。ブログでは時間の自由を得た。世間が幸福の材料として並べるものを、順番に三つ試した。
そして三つとも、わたしの退屈には効かなかった。
酒に沈み、『完全自殺マニュアル』を買った
ブログの作業をやめたあと、生活は少しずつ崩れた。毎日のように酒を飲み、ジャンクフードを食べ、起きていても頭が霞んでいた。大きな事件が起きたわけではない。
ただ、何もしない日が続き、何もしないことにも慣れていった。
ある日、ネットを見ている途中でふと思い立ったように『完全自殺マニュアル』を注文した。

ページをめくり、自分が死ぬ場合を具体的に想像した。あの本は、わたしにとって救いではなく、非常口のようなものだった。
「どうしても無理なら、ここから出られる」と思ったその瞬間だけ、自由を感じた。安心感があった。
しかしそれでも、実行はできなかった。今すぐ死ぬことはできないが、このまま生き続けるのも苦しい。生きる方にも死ぬ方にも進めず、ただ毎日酒を飲んで時間を潰していた。
身体と生活が崩れ、まともに次の手を考える力まで失っていた状態である。
自宅に火をつけるように、借金を増やした
その状態で、わたしは一つの考えに取りつかれた。自分が動けないのは、まだ生活に余裕があり、本気で困っていないからではないか。
逃げられない状況を先に作れば、生存本能が動き、嫌でも立ち上がるのではないか。
そこで、カードローンやリボ払いの枠を使い、意図的に借金を増やした。高価な物が欲しかったわけではない。
返さなければならない金額を背後に置き、自分で退路を塞ごうとした。逃げない自分を作れないなら、逃げ場の方を壊してしまえと考えたのだ。
言ってみればヤケクソ状態である。
自宅に火をつければ、外へ出る前に焼け死ぬ可能性もある。借金を増やせば誰でも動けるわけではなく、そのまま生活も心身も潰れる方が普通だろう。
でも、その時のわたしにはそれしか方法がなかった。一か八かの賭けでもあった。
そして、借金が四百万円を超え、追加で借りることも難しくなった頃、頭の奥で何かがカチリと切り替わった。
「……そろそろ死ぬか。いや、やるか」
別にやる気が爆発したわけではない。恐怖で震えたわけでもない。ただ、「このまま何もしなければ本当に終わる」と、ようやく本気で感じた。
しかし、どうすればここから人生を立て直せるだろうか。
そもそも根性で人生をやり直せるなら、ここまで来ていない。
あれこれ考えた結果、気持ちでどうにかするのではなく、自分を動かすための「仕組み」を作ることにした。
やる気は死んだままでいい。ただ動く。
必要だったのは、強い決意ではなかった。やる気はもう死んでいたし、復活を待っている余裕もない。そこで、気分の代わりに作業だけを機械的にこなす仕組みを作った。
これが、後に「CBS(カウンターブレイクダウンシステム)」と呼ぶようになったものの原型である。
名前だけを見ると大げさだが、やっていることは単純だった。「生活を立て直す」では具体性もなく、作業として大きすぎる。
だからそれを「求人を一件見る」「応募欄を埋める」「履歴書を買ってくる」といった具合に限界まで小さく分解していく。
人生を変えようとすると身体は止まるが、コンビニに行くくらいはできる。買ってきた履歴書に名前を書くことだってできる。
そうやって極限までハードルを下げ、マイペースにタスクを順番に片付けていった。
この方法で借金が消えたわけではない。それでも、何をすればいいかわからず止まっていた状態から、少なくとも一つずつ作業を進められるようになった。
動いた結果が目に見えると、次の作業にも少し意欲が湧くようになった。
肉体労働という、わたしにとっての「悟り」
生活を立て直すため、最初に始めたのは倉庫作業と清掃だった。スーツを着て数字を追っていた頃とは違い、荷物を運び、床を磨けば、その日の仕事が目に見える形で終わる。
余計な駆け引きも少なかった。
仕事を始めた当初、身体はきつかった。荷物を運び、床を磨き、一日分の力を使い切った。仕事を終えて外へ出ると、夕方の空気が汗の残った身体に当たった。
その帰り道、なんとも言えない幸福感が身体を突き抜けた。嬉しい出来事があったわけではない。給料が急に増えたわけでも、借金が減ったわけでもない。
それなのに、全国音楽チャート1位になったときにも、トップセールスになったときにもなかった感覚が、作業着の身体の中にあった。
「……なんだ。これでよかったんだ」
その瞬間、頭の中で何年も喋り続けていた自我が黙った。自然と笑みがこぼれた。
わたしにとっては、これが悟りのようなものだった。
宇宙と一つになることでも、何が起きても笑って受け入れることでもない。荷物を運び、床を磨き、腹を減らして飯を食い、眠る。
そうすることで、余計な思考から解放された。
もちろん、肉体労働が万人を救うわけではないだろう。働きすぎれば身体は壊れるし、現在の長時間稼働も理想ではない。
これはあくまで、考えてばかりで動くことをやめていたわたしの身体には強く効いた、という話である。
ここでようやく、「問題」と「悩み」は同じではないとわかった。未だに、借金という問題は一円も減らずに残っている。
それでも、身体を使い、今日やることがはっきりすると、わたしの場合、問題の周りにまとわりついていた絶望や自己否定は、ほとんど消えた。
借金について考え続けるのではなく、今日いくら稼ぎ、今月いくら返すかを考えられるようになった。問題は残っている。だが、悩みはほぼ消えた。
この違いは、わたしにとってかなり大きかった。
成功は、幸福の条件ではなかった
成功していた頃は、金があり、周囲から認められ、目の前の障害も少なかった。それでも、何をしたいのか分からず、わたしは退屈していた。
だからといって、貧困や借金の方が優れているわけではない。金があり、選択肢が多い方が、現実の問題は処理しやすい。借金もない方がいい。
身も蓋もないが、それは当然である。
それでも、社会的に成功しただけで幸福になれるわけではなかった。
反対に、借金を抱えて身体を使って働いている現在にも、飯がうまい、よく眠れる、頭が静かになる時間はある。
わたしを立て直したのは借金そのものではなく、身体の状態を変え、目の前の現実を直視し、少しずつ動ける生活を作ったことだった。
以前のわたしは、結果を手に入れた未来に幸福があると思っていた。今は、現実の問題を処理しながら、今日の状態も同時に整える方がいいと考えている。
完済や成功を目指すとしても、そこへ着くまでの数年を「不幸な待ち時間」にする必要はない。
そして、フードデリバリーを選んだ
倉庫や清掃の仕事を通じて、身体を動かすことが自分の生活に必要だとわかった。
一方で、働く時間や場所をすべて他人に決められる生活へ戻ることには、強い窮屈さも感じていた。
そこで選び直したのが、自転車のフードデリバリーだった。収入は不安定だが、いつ出るか、どこを走るか、いつ休むかを自分で決められる。
とてつもなく自由なワークスタイルである。
身体を動かして生活費を稼ぎながら、配達の合間や稼働後に文章を書く時間も確保できる可能性があった。
もちろん、最初からうまくいったわけではない。閑散期には稼げず、一度は撤退も考えた。
それでも、雇われの仕事へ戻る前に、この不安定な自由をどこまで使えるのか試すことにした。
ここから先が、現在進行形の「無限の波紋」の始まりである。
→ 【Episode 1】フードデリバリーを、本気でやることにした。──閑散期の撤退と、13時間稼働という決断
最後に、「引き寄せの法則」について
ここまで書いてきた話には、もう一つ触れておきたいことがある。巷で言われている「引き寄せの法則」についてだ。
願いを強く持ち、実現した姿を思い描けば、宇宙が必要な出来事を引き寄せてくれる。成功者の体験談は、しばしばその証拠として語られる。
冒頭で触れたとおり、わたしは単身で海外へ渡り、現地のバンドでメジャーデビューした。その曲が全国音楽チャート1位になり、しかもヒットの最中に自分からバンドを離れた。
客観的に眺めれば、奇跡と呼びたくなるような出来事だと思う。引き寄せの法則を語るには、かなり都合のいい材料である。
宇宙の采配ではない。ただの偶然でいい
それでも、わたしはこの経験を、宇宙の采配の証明だとは考えていない。
普通ではない出来事だったのは確かだが、それが何分の一の確率だったのかを示す信頼できる統計はない。
珍しい出来事を見ると、人はそこへ意味を貼りたがる。「引き寄せた」「宇宙に選ばれた」「運命だった」。そう言えば、自分が特別な物語の主人公になれる。
だが、珍しいことが起きたという事実だけで、宇宙の意志まで登場させる必要はない。
運、環境、出会い、自分たちの行動が重なり、結果としてヒットが起きた。ただの偶然と言えば冷たく聞こえるかもしれないが、偶然は無価値という意味ではない。
宇宙の演出を足さなくても、実際に起きた出来事は十分に面白い。
わたしにとって重要なのは、珍しい経歴を勲章にすることではない。欲しかった結果を手に入れても、生活は自動的に整わなかった。その事実の方が、よほど使い道がある。
だから今は、宇宙から次の合図が届くのを待たず、身体、仕事、支払い、食事、睡眠という、逃げようのない現実から生活を作り直している。
現在実践している身体管理の具体的な内容は、「借金455万円の生活を『至福』に変えた、六つの習慣」にまとめている。
この実体験から生まれた方法論はこちら。