CORE ── 無限の波紋の根本思想

 

このブログの表向きのテーマは、借金455万円の男がフードデリバリーで日銭を稼ぎ、ブログや書籍を育て、場所に縛られない生活へ移っていく記録であり、そこに嘘はない。

ただ、正直に言えば、それは入口にすぎない。

なぜ、ようやく手にした成功をあっさり捨てたのか。なぜ、普通なら人生の一大事として扱う借金を、わざわざ自分から作ったのか。

なぜ、社会的には落ちぶれた現在の方が、かつて結果を出していた時代より幸福だと言えるのか。

傍から見れば、無計画で自滅的なダメ人間である。実際、その結果として現在も借金を返しているのだから、賢い生き方だったと主張するつもりもない。

ただ、こうした選択をしてきた理由は、わたしが成功、金、他人、人生の正解をどう見ているかと切り離せない。このページには、その考え方をまとめている。

当ブログを読む前の「最終通告」
~それでも読みたい、1%の変態へ~

ようこそ、「無限の波紋」の最深部へ。

ここは成功法則を教える場所でも、借金返済の苦労話で感動してもらう場所でもない。

わたしが、自分の身体と生活を使いながら、幸福、自由、他人、正解について考えてきた結果を置いている。

この先には、「他人は存在しない」「現実とは自己感覚である」「自由意志はない」「人生に意味はない」といった話が普通に出てくる。

どれか一つでも、不謹慎だ、受け入れられない、意味がわからないと感じるなら、今すぐ戻るボタンを押して、Yahoo!ニュースでも見ていた方がいい。

はっきり言って、時間の無駄になる。わたしも異論反論を受けつけて、ここで正解を決めるつもりはない。

あなたにはあなたの道があり、わたしにはわたしの道があるという、それだけの話だ。

恐らくここで、99%の人間が脱落する。


借金は残った。悩みは、ほぼ消えた

借金455万円は現実である。考え方を変えても一円も減らない。カード会社は、わたしが悟ったかどうかに興味などない。支払日になれば、いつもどおり金を取りにくる。

それでも、倉庫や清掃の仕事を始め、身体を使って働くようになると、借金の周りにまとわりついていた絶望や自己否定は、わたしの場合ほとんど消えた。

問題は残っている。だが、悩みはほぼ消えた。

借金は「人生が終わった」という恐怖の塊ではなく、今日いくら稼ぎ、今月いくら返すかという作業になった。身体を動かし、腹を減らし、飯を食って眠る。

その生活に戻ると、頭の中で何年も膨らませていた物語が静かになった。

この違いが、無限の波紋の思想の出発点である。

現実の問題と、頭の中で作られる悩みは同じではない。
問題は処理する。悩みまで抱え続ける必要はない。

01
「他人は存在しない」

もちろん、人間の肉体は存在する。目の前の他人は物理的な肉の塊であり、殴られれば痛い。会社をクビにされれば収入が止まる。

悪い噂を流されれば、現実の損害が出ることもある。

わたしが「存在しない」と言っているのは、頭の中に作った他人のことだ。

「きっと馬鹿にされている」「成功したら認めてもらえる」「あの人は自分より上だ」。

実際には確認していない評価を想像し、それを恐れたり、相手に媚びたり、勝とうとしたりする。わたしは、そうした想像を基準に動くのをやめた。

他人の評価という物語と、他人が及ぼす物理的な結果は別であり、物語は捨てても、実害には対処する。この境界線については、別の記事で詳しく書いている。

02
現実とは「自己感覚」である

一般に「現実社会」と呼ばれているのは、年収、肩書、家、仕事、人間関係など、外から見える世界のことだ。もちろん、それらは物理的な事実として存在する。

ただし、そこに成功、失敗、勝ち組、負け組、幸福、不幸といったレッテルを貼っているのは人間である。

会社での仕事が苦しく、毎朝「つらい、逃げたい」と感じている人が、そこから離れようとすると「現実逃避」と言われる。

だが、その苦しさや逃げたいという自己感覚は何なのだろうか。吐き気がする、眠れない、会社へ向かうだけで身体が重くなる。

それこそ、その人がいま実際に経験している現実ではないだろうか。

そう考えると、自分の身体と感覚が出している反応を無視し、「社会人なのだから我慢して働くべきだ」という外側の理屈だけを現実と呼んで会社に留まり続けることこそ、現実逃避とも言える。

もちろん、だから今すぐ会社を辞めろという話ではない。辞めれば収入がなくなる、家賃が払えなくなる、家族の生活に影響が出るといった外側の事実にも対処する必要がある。

ただ、自分が苦しいという事実まで、なかったことにはできない。

たとえば、金も地位もあり、周囲の全員から「幸せそうだ」と思われている人がいたとしても、本人が毎朝目を覚ますたびに苦しく、こんな生活を続けたくないと感じているなら、その人の現実は不幸であり、本人にとっては失敗である。

外野が何万人集まって成功者だと認定しても、本人の感覚を上書きすることはできない。

逆に、借金があり、世間から落ちぶれたと思われていても、本人が身体の軽さや日々の幸福を感じているなら、その幸福まで他人が否定することはできない。

わたしにとって現実とは、世間が貼ったレッテルではなく、自分の脳と身体が実際に何を感じているかという自己感覚である。

こう書くと、ずいぶんわがままな人間に見えるかもしれない。実際、わたしはそういう人間なのだと思う。

だが、自分が幸福か不幸かを決めるところまで他人に任せる方が、わたしには不自然である。

ただし、自己感覚で幸福なら物理的な問題が消える、という話ではない。幸福でも借金は返さなければならないし、身体を壊せば痛い。外側の事実には対処する。

それでも、その人生が成功か失敗か、幸福か不幸かを最後に決めるのは、本人の自己感覚である。

03
「自由意志はない」

わたしは、人間が何の影響も受けず、自分だけの意志で人生を選んでいるとは考えていない。

実際には、身体、環境、記憶、直前に見た言葉、その日の疲労などに影響され、それに反応して動いている。

酒を飲み続け、眠れず、身体が重かった頃のわたしには、破滅的な選択肢しか見えなかった。

酒をやめ、食事を変え、身体を動かすようになると、同じ借金を前にしても、できることが見えるようになった。

断酒、食事、肉体労働をどう組み合わせているかは、「借金455万円の生活を『至福』に変えた、六つの習慣」にまとめている。

ここには二段階ある。まず普通の意味では、人間には思われている以上に自分を動かせる余地がある。

「動けないのは意志が弱いからだ」と決めつけなくても、酒をやめる、作業を小さくする、先に予定を入れる、人に頼るなど、いままでとは違う条件や刺激を使うことで、動けるようになる可能性はある。

ただし、酒をやめようと思ったことも、環境を整えようと思ったことも、さらに言えば「別の方法を試そう」と思ったことさえ、わたしは自由意志だとは考えていない。

追い込まれた身体、そのとき出会った情報、過去の失敗、たまたま目にした言葉など、さまざまな条件が重なった結果として、次の行動が起きただけである。

つまり、自分の判断だけで人生を完全にコントロールしているわけではないが、何をしても同じということでもない。

人間は条件によって動く以上、その条件が変われば次の行動も変わりうる。

たとえば、この文章を読んだことが刺激になって机の上を片づけ、その小さな変化から、次に取れる行動が増えることもある。

もちろん、それさえ自由意志ではなく因果の続きである。

それでも、すべてを完全にはコントロールできないというだけで、通常考えられているより動かせる余地はあり、チャンスもある。

「自由意志がない」と「何をしても同じ」は、まったく別の話だ。

人間が条件によって変わる存在なら、他人や自分を「信じる」「信じない」という固定的な判定で扱う必要もなくなる。現在までの行動を観察し、次の動きを予測し、予測が外れた場合の出口を用意する。この考え方については、「わたしは、究極的に言えば何も信じていない」にまとめている。

04
「人生に意味はない」

宇宙規模で見れば、人間の一生に最初から決められた意味などない。何者になるべきか、何を成し遂げるべきかという命令も、空からは降ってこない。

だからといって、何もしなくていいわけではない。意味がなくても腹は減るし、眠らなければ身体は壊れ、家賃の支払日も来る。

人生に意味がないことと、物理的な結果がなくなることは別である。

壮大な意味を探す必要がないなら、今日の飯を食い、面倒事を一つ片づけ、よく眠ればいい。宇宙の使命より、今夜ちゃんと眠れることの方が、わたしには重要だ。

深刻になったら負けである、と言っても、問題を放置しろという意味ではない。できることをやったあとまで、頭の中で人生会議を続けるなという意味だ。

05
「正解」など存在しない

世界にあるのは、正義と悪の戦いというより、それぞれの人間にとって都合のいい正義同士の衝突である。

だから、他人と議論して唯一の正解を決める必要はなく、相手の正解は相手に持たせておけばいい。

そのうえで、わたしは嫌いなものを否定するし、自分にとって都合の悪い考えは切り捨てる。

「正解がない」とは、判断を放棄し、すべてを同じように尊重することではない。自分の判断を宇宙共通の真理に昇格させないというだけだ。

相手を論破したり、説得したりする必要はない。相手の道を残したまま、自分の道をまっすぐ進めばいい。

06
人は「自分のため」にしか生きられない

ここに二人の人間がいる。

  • Aさん:「親の面倒は最後まで見る。それが子供の務めであり、わたしの喜びだ」
  • Bさん:「親の介護はしたくない。自分の生活を優先する」

Aさんは立派で、Bさんは自分勝手だと反射的に感じるなら、それは世間で当たり前とされている見方を、そのまま受け入れているからだろう。

Aさんは、親を見捨てる自分ではいたくない。面倒を見る方が、自分の価値観に合い、後悔も少ない。Bさんは、介護によって自分の生活が壊れることに耐えられない。

どちらも、自分が受け入れられる選択をしている。

これは、二人の行動が同じ結果を生むという意味ではない。親が受ける物理的な結果は違うし、必要な責任も変わる。

ただ、完全に自分を消した自己犠牲という物語を、わたしは信じていない。

人は自分のためにしか生きられない。それでいい。

だから、自分の選択に過剰な罪悪感を抱く必要はないし、他人の善行を必要以上に称賛して、自分と比べて劣等感を抱く必要もない。

以上を経てもなお読み進めようとする、1%の変態たちへ。
ここは、あなたのための場所かもしれない。

幸福は、現実からつくる

内面は、現実を魔法で操作するリモコンではない。幸せな気分になっても借金は消えず、前向きに考えたところで、放置した面倒事は残る。

ただし、身体と心の状態が変われば行動も変わり、以前なら面倒で放置していた連絡を返したり、働きに出たり、支払いを一つ片づけたりできるようになる。

その行動の結果として、現実が変わることはある。

わたしが言う「現実からつくる」とは、現実がすべて思いどおりになったあとで幸福になる、という意味ではない。現実から逃げず、今日処理できることへ戻る。

その時点から、幸福はすでに始まっている。

完全な安心など存在しないのだから、考え、準備し、できることをやったあとは、残りを諦める。

この諦めは放置ではなく、もうここから先は自分の仕事ではないと腹を決めることである。

成功するまで幸福を待たず、問題が全滅するまで安心を待たず、現実を処理しながら、今日の身体と機嫌も同時に整える。

これが、無限の波紋の中心にある考え方だ。


この思想を扱う書籍

COREで扱っている考え方は、書籍でもテーマごとに詳しく書いている。

第1弾書籍
『幸福は、現実からつくる』

引き寄せ、悟り、前向き思考によって内面を変えれば現実も変わると信じようとして、疲れた人へ向けた本。

願いが叶うのを待つのではなく、身体と生活を整え、目の前の問題を処理するところから幸福を作り直す。

第2弾
構想中
『底辺の辞書』
常識、成功、失敗、底辺などの言葉を、誰にとって都合がいい定義なのかという視点から読み直す。

第3弾
構想中
『孤独ゆえの自由』
孤独を慰めや弱者の物語ではなく、他人の自我から距離を取り、自分の生活を作る条件として考える。

第4弾
構想中
『頑張ったら、負け。』
やる気や意志力を待たず、作業を小さく分け、身体が動ける仕組みを作る方法。


⚠ DISCLAIMER
再現性:不明 / 万人向けではない

このページは成功法則でも、生き方の正解でもない。借金を作れ、孤独になれ、肉体労働をしろと勧めるものでもない。

ここにあるのは、一人の人間が自分の身体と生活を観察し、何が起きたかを言葉にした記録である。わたしと同じことをして、同じ結果になる保証はない。

最後に繰り返すが、わたしはこの記録であなたを救う気など1ミリもない。

ただ、これを読んだことで何かの見方が変わり、少し楽になるなら、それはそれで面白い。

実験は、すでに始まっている。

この考え方を、日々の生活でどう実践しているかはこちら。

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プロジェクト全体の概要はこちら。

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