成功しても不幸なら、それは失敗だ。わたしが考える「成功」の条件

METHOD / 成功の再定義
成功しても不幸なら、それは失敗だ。
わたしが考える「成功」の条件
名声も金も手に入れた。結果だけを見れば、わたしは一度成功している。
だが、当の本人が幸福ではなかったのなら、あれを成功と呼んでよいのだろうか。

今日が幸福で、明日の選択肢も増えている

世間から成功者に見えていても、本人が毎日を苦痛に感じているなら、その人の現実は不幸である。わたしは海外でメジャーデビューし、チャートで結果を出した。

その後、別の仕事で金も稼いだが、当時の自己感覚は幸福とは言いがたかった。

だからといって、「内面で幸福を感じられれば、現実はどうでもいい」と言いたいわけでもない。

家賃を払えず、借金の督促が届き、身体を壊しているのに、考え方だけ変えて幸せだと言い張るのは無理がある。

酒を飲んでいる間だけ気分がよかった時期もあるが、あれを幸福な生活とは呼べない。

外から見える成功だけでも足りないし、内面だけの幸福でも足りない。そこで、わたしは成功を次のように定義し直した。

今日の自己感覚が幸福であり、同時に、明日以降の選択肢も少しずつ増えていること。

今日を犠牲にして、いつか成功したら幸福になるという生き方は選ばない。しかし、今日さえ気分よく過ごせれば、未来が崩れても構わないという生き方もしない。

今をちゃんと生きながら、金、身体、仕事、住む場所の選択肢を少しずつ増やしていく。この二つが同時に進んでいる状態を、わたしは成功と呼ぶ。

これは万人に共通する正解ではない。

だが、少なくとも、一度は世間的な成功を経験し、その先で「これではなかった」と感じたわたしにとっては、以前よりはるかにしっくりくる定義である。

その経緯は、Episode 0にまとめている。


精神だけでも、金だけでも足りなかった

人生を良くする方法は無数にあるが、わたしが実際に触れてきたものを大きく分けると、三つある。そして、どれにも無視できない問題があった。

01
気分を変えれば、現実も変わる

引き寄せやスピリチュアルには、他人の評価や将来への恐怖から距離を取るうえで役に立つ部分がある。

ただし、内面を整えることが、「現実的な行動をしない理由」に変わった瞬間におかしくなる。

宇宙を信頼しても、家賃の引き落とし日は待ってくれない。部屋で寝ながら「受け取る準備はできている」と唱えても、口座の残高は基本的に増えない。

02
結果を出せば、幸福になれる

大量に行動し、数字を追い、競争に勝つ。現実を動かす方法としては強い。

しかし、現在の苦痛をすべて「成功までの我慢」で処理すると、結果が出た後にも幸福が来ないことがある。

これは一般論として想像しているのではない。名声を得たときも、金を稼いだときも、わたし自身に起きたことである。頂上へ着いたのに、そこに欲しかったものがなかった。

03
世界は幻想だから、何もしなくていい

悟りやノンデュアリティには、肩書や世間体を必要以上に深刻に受け取らずに済む強さがある。

だが、「すべて幻想だ」を現実の問題にまで広げると、家賃も疲労も身体の痛みも放置することになる。

社会的なラベルは脳内の解釈かもしれない。それでも殴られれば痛いし、寝なければ身体は壊れる。この切り分けについては、「他人はいない。仮想現実かもしれない。それでも、殴られれば痛い」で詳しく書いた。

三つとも、完全に間違っているわけではなく、それぞれ使えるところはある。

だから一つに決めるのではなく、気分だけを整えるのでも、結果だけを追うのでもなく、今日の幸福と将来の選択肢を両方増やす方法を探すことにした。


自我を消さず、警報として扱う

三つの考え方との違いが最も出るのは、自我の扱い方だと思う。

ここでいう自我とは、不安、焦り、恐怖、嫉妬などの感情となって声を上げる、自分の中のうるさい部分である。

スピリチュアルでは、それを現実を遠ざける「ブロック」として扱うことがある。ビジネスや成功哲学では、弱音として押さえ込み、結果が出るまで無視する。

悟りでは、そもそも自我は幻想であり、消えてしまえば楽になると考える。

わたしは、不安や焦りを消すべき邪魔なものとは考えていない。自我の言うことをすべて信じる必要はないが、何かが起きていることを知らせる警報として受け取っている。

ただし、警報が鳴ったからといって、目の前で必ず火事が起きているわけではない。借金、未払い、収入不足、未処理の仕事など、外側の問題が原因の場合もある。

一方で、酒が残っている、寝不足である、疲れ切っている、身体をほとんど動かしていないなど、内側の物理状態によって警報が過敏になっている場合もある。

過去の記憶に身体が反応していることもあるだろう。

だから、自我を説得したり黙らせたりする前に、何に反応しているのかを見る。支払いが迫っているなら金を作る。未処理の仕事があるなら手をつける。

酒で翌日が壊れているなら飲まない。寝不足なら寝る。頭の中だけで不安を処理しようとして同じ場所を回り続けているなら、身体を動かす。

処理できるものを処理すると、少なくともわたしの場合、絶望や自己否定はほとんど消える。

問題そのものが物理的に消えていなくても、「この問題はこう扱えばいい」という作業に変わるからだ。

問題は残っていても、悩み続ける必要はなくなる。

精神を無視して現実だけを動かすのでも、現実を無視して気分だけを整えるのでもない。外の問題を処理し、同時に、その現実を受け取っている身体も整える。

わたしがやっているのは、結局これだけである。

この身体側の整え方については、「借金455万円の生活を『至福』に変えた、六つの習慣」にまとめている。


考え尽くすことで、今日だけを生きられる

わたしが理想としているのは「一日一生」という生き方だ。今日という日にやることをやり、その一日だけで人生を一度完結させる。

未来の成功を待たず、今日の中に幸福を置く。

しかし、わたしは何も考えずに今だけを生きられる性格ではない。心配性で、分析癖があり、放っておけば頭が勝手に最悪の展開を計算し始める。

そこで、この性質を矯正するのではなく、そのまま使うことにした。

フードデリバリーが明日できなくなったらどうするか。収入が足りなくなったら何の仕事をするか。住む場所を変える必要が出たら、今の生活をどう持っていくか。

考えられる失敗を先に考え、実際に使える退路を用意しておく。

最悪の場合に何をするかが決まっていれば、今日の出来事を必要以上に恐れずに済む。わたしにとって一日一生は、考えることをやめて手に入れる境地ではない。

考え尽くした後に、ようやく実現する生き方である。

必要なのは、何が起きても動じない人間になるような悟りではない。人間も、企業も、国も、百パーセント同じ動きを続けるものではないと理解し、予測が外れた場合の出口を作っておくことだ。悟りではなく理解によって現実へ戻るというスタンスは、「わたしは、究極的に言えば何も信じていない」にまとめている。

この考え方を、配達中のケガやアカウント停止への備えにまで落とし込んだ日の記録は、「今日だけを生きるために、最悪の明日を先に片づけた」に書いた。


配達で今日を生き、所有できるものを裏で育てる

現在のわたしには約455万円の借金がある。非電動のママチャリでフードデリバリーをし、その日の生活費と返済原資を作っている。

同時に、ブログや書籍を書き、あとから別の場所へ持っていけるものを少しずつ増やしている。

配達は、今のわたしにとって使い勝手のよい仕事である。ただし、配達員を、自分の固定した職業や肩書きとは考えない。

どれだけ真面目に働き、評価を積んでも、規約変更や一件の通報で状況が変わる可能性はある。職業は、その時点で使える手段の一つにすぎない。

配達が続けられるなら続ければいい。無理になれば、期間工でも、倉庫でも、清掃でも、別の仕事へ移る。そのときも、原稿、ブログ、書籍、経験、考え方は自分の側に残る。

仕事や住む場所が変わっても、原稿、ブログ、書籍は増やし続ける。

自分を「配達員」と定義しない理由は、生存記録にも書いた。

今日の生活費を作れている。身体を動かした後の飯がうまい。その日の経験を文章として残せた。

そして、特定の会社や仕事に人生を握られないための選択肢が、昨日よりわずかに増えている。

借金がある以上、世間的には成功していない。それでも、この一日だけを見れば、すでに欲しかった生き方の一部は実現している。

成功を未来の一点ではなく、今日の幸福と選択肢が同時に増えていく過程として見るなら、現在地の意味も変わる。


奇跡が起きるかどうかは、ついでに見ておく

最後に、巷で言われている「引き寄せの法則」についても触れておきたい。

引き寄せでは、先に良い気分でいれば、その状態に合った出来事が起きると言われる。

それが本当なら、食事、断酒、睡眠、肉体労働によって日常的に機嫌よく生きているわたしにも、何かしら都合のよい出来事が増えるはずである。

だから、神に祈るつもりはないが、結果は見ておく。偶然以上のことが起きるのか、何も起きないのか。

起きたとして、それが超常現象なのか、機嫌がよくなって行動が変わった結果なのか。簡単に証明できる話ではない。

奇跡が起きなければ、それまでである。起きても、すぐに宇宙の采配とは決めない。

ただ、借金まみれの中年が、現実的なことだけをやりながら機嫌よく生きていたら何が起きるのか。観察対象としては面白いので、その経過も残していく。


これは、わたし自身が試している成功の形である

わたしは、この成功の定義を他人へ押しつけるつもりはない。金だけを追って満足できる人もいるし、何も持たない生活で幸福な人もいる。

その道を本人が選び、本人の自己感覚で納得しているなら、外から否定する理由はない。

ただ、わたしは一度、世間が成功と呼ぶ場所へ行き、そこに幸福がなかった。

その後、自分で生活を壊し、借金を作り、今は身体を使って日銭を稼ぎながら、別の成功の形を試している。

この定義で本当に生きていけるのか。借金を返し、収入源を増やし、場所に縛られない生活へ移れるのか。それでも現在の幸福を失わずにいられるのか。

結果が出る前から、その過程を記録していく。

真似する必要はない。うまくいけば使える部分だけ持っていけばいいし、失敗すれば失敗例として見ればいい。わたし自身も、今後の結果に合わせて考えを変える。


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この成功の定義に関係する考え方は、COREにまとめている。

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